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仰向 歩(3)

生前葬というのがあって生きているうちに葬式をするんだけれど僕は自分の部屋に仏壇を置いてスマホで撮った写真をコンビニで現像して100均で買った写真フレームの中に自分の顔写真を入れて飾っている。僕は立ち上がることができないから仰向けのままズルズルとスライドするようにベッドから床に移動してそのまま背中で這いながら仏壇の近くに移動してチーンと鳴らす。仏壇を部屋に置くと線香をつけていないのにまるで線香の匂いがしているような気がして落ち着く。今日は学校が休みで何をしようか決めていない。でも最低限顔を洗ったり着替えたりして身支度はしておきたい。10時にホームヘルパーの人が来るからそれまでに人前に出られるような恰好はしておきたい。僕は6畳間のワンルームの玄関に向けて背中を滑らせる。僕の体は足が動かないような身体障害の類ではない。生まれてこの型「立ち上がる」ことを知らないのだ。全身には力が入るけれど立ち方が分からないのだ。一度整形外科に行ったことはあるが検査結果は異常なしで医師からは精神科に通うことを勧められた。当時両親がどうにか僕を歩かせようと二人がかりで僕の体を持ち上げたのだが立つこともかなわずまるで地面に最初から僕がくっついて離れないかのように重たかったらしくそれきり両親は僕を立たせることを諦めたらしい。そもそも両親がいたなんてことも僕は分からないのだ。ただ頭の中に入っている記憶が勝手に動き出して僕の目の前に映し出される。見えてはないのにどこからか映像みたいなのが流れて僕はそのたびに背中が痒くなるのだ。そんなことはどうでもいい。とにかく顔を洗うために玄関近くの台所に行くぞ。このあいだ身体障害者が使う治具メーカーからオーダーメイドで作ってもらった顔洗い機を使って顔を洗う。単に水道にチューブが取り付けられて床に「出す」と「切る」の丸ボタンがありボタンを押すとセットされた洗面器に水が注がれる。僕はその洗面器を片手で持ち寝そべった自分の顔に浴びせる。おかげでアパートの床はびしょぬれで後始末が大変だけどどうせヘルパーが来るから僕が片付ける必要はない。ただこの瞬間に初めて自分は起きたのだなあと思って再度床をボーっと眺めてみるのだが顔だけは拭いておこうと床に放ってあるタオルやらシャツやらを手探りして見つけそして顔を拭く。天井に固定した時計を見ると9時45分を回っていた。短針と長針が重なりかけているタイミングで時計を目にすることが度々あるから僕は知らない間に目にしたものに意識を向けているのだなと一定の法則性が僕の中で生まれているのではないかと思ったもののそんなことは世の中の何にも役に立たないからくだらない思い付きだとフッと息を吐いて濡れた服や床が渇くのが先かそれともヘルパーが来るのが先かを天井を突き抜けてアパートの上に立った自分をイメージしてきっと空が晴れているといいなと室内で感じるはずがない風を感じるかのようにフルっとみぶるいしてみせた。

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