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我が家の猫たち~実家で飼っていた猫たち①その3

私にとっての初めての猫だったミーは、観察対象だった。
そばに来て甘えてくれる犬のように懐くということがない(番犬として常に犬がいた)。
当時私も姉たちも同じスポーツの習い事と、ピアノを週に1回の習い事で、ほとんど体育館にいた。宿題は、練習の前か、帰ってきて食事の前にちゃちゃっと済ませていた。いつも通りに、リビングの6人掛けの食卓で勉強していると、何故か、私の座っている椅子の斜め前に、いつの間にかミーが丸くなって寝ていた。私は気づくことが少なかったけれど、母が言うにはよくそうしていたらしい。今でいう、ツンデレなのかもしれない。当時は、いるならいるって言えばいいのに、と思いながら、少し撫でて、もう少し撫でようとすると、のそっと起き上がり、寝床を変えてしまう。あぁまた逃げられたということばかりだった。
(ちなみに、父の椅子には決して乗らなかった。もちろん私たち子どもも。暗黙の了解でというか、席が決まっていた。)
そのくせ、出たいとき入りたいとき、父や母や姉がいないときは、しょうがないな、お前か、お前に穏やかな声なんか出しにくいな、とでもいうような少し気まずそうに甘えた声を出し、こちらとしても、その努力を買おうじゃないかと、ただすぐにではなく、少し待って、窓をあげないこともない。

犬に比べて、なんてわがままで、身勝手な、でも何故かどうにもかわいい動物だなという認識だった。

外にいることが多くなり、毎晩帰ってくるということがなくなりつつあったころ、ミーがひどいけがをして帰ってきた。
耳と目の間の皮膚をバッサリやられたらしく、血がたくさん出ていた。母は取り乱し、しかし父は、猫の皮膚はすぐふさがる、雄だし若いしけんかも荒いんだろう、こんなにやられるなんてお前ちゃんと戦ったのか、と言いながら、大丈夫大丈夫、ティッシュとオキシフル持ってきて、という。
待て待て待て。この傷口にオキシフルはないんじゃないか(オキシドール、ですかね。父はオキシフルって呼んでますが)。私たち子どもも、傷ができると父に見せ、すぐさま、オキシフルをされた。それはそれは、痛い。やり方にもよるんだろうとは思うけれど、きちんと消毒をしないと、化膿するとよくないからと、オキシフルをちょこんとたらす。そのあと、あろうことか、傷口の周りの皮膚に力を加えて、軽く傷口を開いたり閉じたりするのだ。そうすることで、きちんと消毒できるのだという。おっしゃることはごもっとも、こちらとしても理解はできます、が、とにかく痛い。痛いから離してほしいしもう消毒できたよありがとうお父さん、と一生懸命に言うのだけれど、一向に聞き入れてもらえない。痛がるこちらの顔や声などおかまいなしに、まぁ痛いだろうなぁと言いながら、全く動じずにやめようともしない。あまりにオーバーに痛がると、そうかじゃあもう一度とか笑いながら言うから勘弁してほしい。その記憶が、ミーを見てよみがえった。ミー、お前よくない状況だぞ、逃げてもいいぞ、と。
汚かったしどうなのと言いながら、でもお風呂に入れられるような傷の様子じゃないし、軽く手足を拭いて、消毒は始まった。オキシフルだ。恐怖。ミーは知ってか知らずか、静かな様子。ハイ前むいてー、見せてーんーいくよーとでも言ってそうな、しかし父は無言でオキシフルをたらし、例のブクブクという泡が傷口から出てきていた。おぉ痛そう。でも鳴きもしない。正直見ているこちらのほうが痛そう。傍で見ていた母や姉が同じような表情でかたずをのんで見守っていた。猫の切り傷はすぐに治るから、けんかでやられた傷はざばっと切れた分、パタッと治るし、猫だから。父はそう言う。雄猫同士のけんかの声を聞いたことはあったけれど、見たことはなかった。そんなに激しいものなのか、とミーの切り傷を見て驚いた。

ただ、オキシフルはその後も続いた。その傷は何となく翌朝にはかさぶたになり、その翌朝には膿んでいることが分かった。父は、膿がもう少したまってから、なんかで切って膿を出してやらないと、という。なんだ、なんか不穏なこと言ったぞ。どうやって出すの、と聞くと、なんかで切るしかないだろ、カッターとかな、という。いやいや何を言い出すんだ。せっかく閉じた傷を、と思うものの、膿んでしまったら、炎症起こしたら、切らないといけない、というのはしっぽの件で学んでいる。そうか、しょうがないのか。あんな思いをしたのに、あれは人間のせいでミーが悪くなかったことにしても、今回は自業自得じゃないの、と思った。

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