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母の分身か・ソニーのラジオ……そこから由紀さおりさん「夜明けのスキャット」②

あるラジオについて書く。

……いや書かしてください。

       ◇

1970年(昭和45年)春、私は高校に入った。

50年余り前のことだ。

北海道後志管内余市町(ニッカのウイスキー工場があります)

の中学校から、20キロ余り離れた、小樽市の進学高校に進んだ。

下宿した。

家族から離れて勉強に熱を入れ、3年後は〝良い大学〟に合格するための特別な下宿である。

母はため息をつきながらこう言った。「うちは貧乏だから、私立大学はとうてい無理だよ。(授業料が安い)国公立しかやれないよ。頼むね」

我が家は母子家庭であり、母の言葉は全く掛値なし。…母の財布の中身を私自身が十分に知っていた。                 

              ◇

母がラジオを買って持たせてくれた。

ソニーの「デジタル24」。

横35センチ、縦15センチ、高さ10センチ。けっこう重い。

(上にリンクを張ったものと同形だと思われる)

AⅯ、FMが両方聞けて、底に備わった大きめのスピーカーから出る音に迫力があり、床と共鳴して、表現力が増した。

音楽を伝える繊細さも十分だった。


時計が便利だった。パタパタ時計といわれ、数字が描かれた板を回転させて時刻を表示する機械型デジタル機器であり、小さなライトが表示面を照らしてくれていて、ふと目が覚めた真夜中でも私に優しく時間を教えてくれた。

私の高校時代の最初の親友になった。

           ◇

入学から約2週間後、4月の中旬ごろだったろうか。

勉強に倦んだ夜半だった。


そのラジオのFM放送から、由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」がふっと流れてきた。

♪♪♪  ルルル・・・・・・・・・・・・

   ラララ・・・・・・・・・・・・

   パパパ・・・・・・・・・・・・

   愛し合うその時に この世はとまるの
   時のない世界に 2人は行くのよ
   夜はながれず 星も消えない
   愛の唄ひびくだけ
   愛し合う2人の 時計はとまるのよ
             ♪♪♪

初めて聴く曲だった。

鳥肌が立った。

部屋の天井を見上げた。

目をつむった。

体の芯が熱くなった。

やがて心が透明になった。


いったい自分の内面で何が起こっているのか。

……うまく説明できなかった。

ただ自分が埋め込まれている日常空間(下宿とか、学校とか、受験競争とか……)から違う時空に自分が運ばれて行くような感覚に襲われた。

現実のまるごとの相対化である。

どきどきした。

曲が終わり、目を開けた。

天井を見続けた。

心身が軽くなっていた。

          ◇

そのラジオと高校3年間を一緒に暮らした。

東京での大学受験にも、リュックの中に入れて、持参した。

志望校に幸運にも合格し、大学5年間(1年留年)の生活をともにした。

就職した。

勤労者生活は、予想以上にきつかった。

心身が会社に埋め込まれてしまいそうだった。


2回目の転勤時だろうか、大事なラジオを見失ってしまった。

増えた引っ越し荷物の間に紛れて、うっかり紛失してしまったらしい。

          ◇

油断だよね。

母の恩をいっとき忘れしてしまったのだろうか。

そんなことはないはずだ。

声はいつも聞こえてきてるし、折に触れ手を合わせている。

でもラジオがなくなったのは事実だった。

母さんごめん。

母さん……いまはせめて「夜明けのスキャット」を繰り返し聴き、

あのラジオのことを思い出しています。

            (この項続く)



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