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《因果について思う事。》

(事務局ご挨拶)大熊良樹先生の(無料版)講話。全文は随時、加筆されて当noteに掲載されます。お気に入りに登録してぜひ、全文をご覧下さい。いつもご覧いただきありがとうございます。(京都本部事務局) 

《因果について最近思う事があるのです。》

京都いのちの教育センター主幹

大 熊 良 樹


(1)因果に関する大きな誤解

▼「過去」で悪いことすれば「現在・未来」で悪いことが起こる。「過去」で良いことをすれば「現在・未来」で良いことが起こる。『善因善果』『悪因悪果』・『因果応報』これらの『道理』は正しいけれど、実は、多くの人が誤解して「考え」、暗い視座から、解釈を大きく『間違っている』事が多いのです‼️ じつに「深い道理」ではあるけれども、けっして人を裁く言葉でも、自分を卑下し貶める理論(理屈)でもない

今世でずいぶん嫌な親に出会った。いやな上司に会った。悲惨な体験をした。ヒドイ境遇だった。あるいは、事件事故にあった。障害や難病になった。もしかしたら、前世かなにかで言い知れぬ「悪因」があったのだろうか?という一側面的(単純)な「因果論」は、じつは「大きな間違い」なのです。迷いは「暗さ」です。暗い心に光(光の言葉)をあてて下さい。

(2) 前後際断して生きよ

 
 「前後際断(ぜんごさいだん)」という言葉は、全ての禅僧が常に念頭に置いている「重要な教え」です。

   道元禅師の『正法眼蔵』「現成公案」の巻に出てくる言葉です。「過去と未来を対立的にみる見解を截断し、絶対の現在 に生きること」です。

 過去にも未来にも、とらえてとらわれず。今、ただただ「只今(ただいま)」を生きるという事です。いかに因果をとらえてとらわれず。すなわち、『とらわれすぎてはならない』ということを示した重要な言葉であります。


(3)因果説話に秘められた3つの暗示


▼因果説話には「3つの大切な例え(教訓)が暗示されているのです‼️一つは、「人間は神の子(現れ)」であり「仏の子(現れ)」である。前者は神道やキリスト教で、後者は仏教で、かく、表現されるのは、人間の表面的な尊さではなく、奥深い、霊性の尊さを伝える表現であります。人間は『知らずして全てを知っている』のであります‼️ 

 深層心理学で言えば、表面意識的は知らなくとも、深層意識では『人間のいのちの限りない尊さ』『人間のいのちの輝き』『人間の神性』『人間の仏性』等々全てを知っておるという事であります‼️

だから、自分の本当の思いを欺いてはいけない。《人は人を本当は憎んでおるようでも愛している》のだから、人を貶めたり、欺いたり、いじめたり、悪意を持って、悪口中傷罵倒してはいけない。

 もちろん、善意でもダメです‼️ (笑) 時々いるのです。『あの人のためよお‼️ 因果応報なのよっ!!』なんて言う人が。(笑) 職場でいじめをしたり、学校で悪口を言いふらしたり。人は人を裁けない。そんな偉い人はいません。我がうちなる本心(本神)に、問いかけて、問いかけて、あるいは、天を仰いで、問いかけて問いかけて、謙虚に、そして、全てに尊敬と感謝をもって、生きる事が大事であります。

 人間は、生かされているのであります。生きる生きる言うけれども、生かされておるのであって、生きているのではない‼️ (笑)生かされて生きるというところが、本当である。生命力については後藤さんのお話を聞いてもらっていいですか?本当に素晴らしいお話があります。

(4)生かされて生きる

『生かされて生きる』
  後藤さんの話 (素晴らしい話です‼️)
https://youtu.be/tr3pLPu5j6Y


(5)「因果説話」に秘められた3つの暗示

  さきほども申しましたが、実は・・・因果説話には「いのち」における重要な3つの深い意味があります。

 この事実を知るとおそらく歓喜の涙が3日は止まらないで在りましょう。それほどに、素晴らしい事実であります。これさえ分かったら、いつ死んでもいいと思えるような「満足感」と「感謝」があふれて来ます。生かされているありがたさと、生きる希望があふれて来ます。さて・・3つとは・・・。

 [1]内部理想の絶対          

 (あなたは「絶対生命」である。)      

絶対にいのちを誤魔化せない裏切れない       
 [2]内部理想の具現(あなたは「無限生長」である。)
    
いのちが輝くために絶妙なる舞台で絶妙な役を演じる 

 [3]内部理想の無限(あなたは「色即是空」である。)
    
無一物中無尽蔵 言葉の創造力で人生を創造する

  難しそうな言葉ですから、簡単
    に、わかりやすく説明しましょう。

[1]内部理想の絶対(絶対生命)

  人は絶対にいのちを誤魔化せない裏切れない

 全ての不幸は「自己処罰である」。今から80年前。昭和10年代からユング、フロイトの仮説をさらに深めて、活躍された精神医学の大家 カールメニンジャー「己に背くもの」というテーマを提起して、自己毀損(感情)や「人生の不幸」について深く「精神分析」の根底を述べた。

 私の心理学指導の基本も、実は、神道の礼拝(らいはい=いのちを拝むこと)と仏教(空観)をベースにした「唯識学(仏教の深層心理学)」と「カールメニンジャー博士」の「精神分析学」それを日本に紹介された日本教文社を設立された谷口雅春先生(光明思想)、池見酉次郎(九州大学で心療内科を作られた)杉靖三郎博士(ハンスセリエ博士のストレス学説を日本に紹介した医師)等の影響を大きく受けた。

 良く生きたいのに生きれない。結婚したいのにできない方向に進んでしまう。愛しているのに嫌われる。幸せになりたいのに幸せになれない。すなわち、錯誤行為の原因は、すべからく外的原因ではなく「自己処罰」である。「自己処罰」感情が、「苦しむ環境」「苦しめる配役(周囲の人間関係・職場)」「日々の気分」「事件事故」「病気・免疫」「感覚・感情」さえにも影響するというのである。

 また、悪い事ばかりではない。輪廻転生を「信じる人」も「信じない人」もあるだろうが、日々「朝」起きて「夜」就寝する様は、朝生まれて夜に死する体験を繰り返しているとも言われる。人生とは、「1日1生。」後悔しないように、全力で生きる練習をしているともいえる。その中で、1日1日、人間は何者であるのか?何のために生きるのかを問うことは大切な事である。その問いかけの中で「答え」を知る(悟る・覚る)のである。いろいろな問いかけがあるであろうが、人生最大の問いかけ(禅では「大疑団」という)は、「人間は何者であるのか?何のために生きるのか?」ということではないだろうか?昭和における「経営の神様」と言われる 松下幸之助氏も「人間は何者であるのか?何のために生きるのか?」すなわち「人間観」と「人生観」こそもっとも大事やな、と言われている。私が僧堂と言われる禅の修行道場で体験したお話を聞いていただきたい。

「1日に100年を生きる」
   わたしが体験した事

https://youtu.be/JIsWxqrrw98


 人生の課題「魂の生長(いのちが伸びる事)」のために、自ら「人生」という舞台を設定し、自ら「配役」を選び、自ら設定し(選び)、運命を生きるという筋書き(脚本)もある。それらは「偶然」だという人もあろう。「必然」という人もあろう。私は、全てが、一分一厘、例外なく、ありがたいありがたい「奇蹟」であると信ずる。「ありがたい」という言葉自体が「有り難し」(有ることが難しい)という言葉であるのだ。

奇跡的に「いのち」を授かり、そのことで、自分のいのちの生長と、人のいのちを照らす役割を果たす使命を戴いた。むしろ、この世に生まれてくることは、素晴らしい「御褒美」(ごほうび)ではないだろうか? そう、私は思うのである。

ありがとうの語源

https://youtu.be/oZ3_tU7lOVw

だから自分の本心を裏切ってはいけない


人間の心の構造(10識説)

  人間は、3つの要素で構成されている。それは肉体の話ではない。肉体と「こころ」と、「精神」である。肉体は「物質」である。物質も生きており、精霊が宿るという人もある。また、山川草木の「いのち」を精霊という人もある。ここでは人間のいのちを論じるので、(1)肉体(body/ボディー)・(2)心(mind/マインド)・(3)精神(spiritu/スピリッツ)のスリ-ポイントを指す。実は近代心理学は100年の歴史を有するが、元は、2千数百年の歴史を持つ「唯識(仏教心理学)」に由来するのである。そう、あの、玄奘三蔵法師が天竺から持ち帰った経典の中心的な中身こそこの「仏教心理学」の経典だったのです。下記、私がオリジナルで図式化しましたが、かなり綿密です。図式ではS(霊性)と表現します。ここには重大な問題があるからです。

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B(肉体)М(心理)S(霊性)

(1)肉体(body/ボディー)
(2)(mind/マインド)
(3)精神(spiritu/スピリッツ)

     今では「統合失調症」という病状があるが、昔は「精神分裂症」と言っていた。何とも「恐ろしく」おどろおどろしい名前を付けるものである。そこには「恐怖感」がある。「恐怖は恐怖」を生み、「恐怖感」が強くある限り病状は悪くなっても良くはならない。そのことは近年、笑いや喜びの感情が、人間の免疫をあげたり、体調を整えたりする効果があるという科学的データや、書籍、番組、動画などで、ご存知な方も多いだろう。感情や自己認識、自己肯定感(セルフエステーム)が「いのちの力」を著しく発揮し、自己否定感情が「いのちの力」を著しく抑圧することは現代の常識となって来たともいえる。

  人間を構成する側面に、肉体と心があるが、近代心理学では表面の心を「表面意識」、奥底の心を「深層意識」と表現したが、実は仏教心理学では更に深く綿密な表現をしているのである。(詳細はnote「特別版 奇蹟の繁栄法則」(大熊良樹著)に掲載。

 また、この「人間観」をベースにした「人生観」により、「死」に直面した稲盛和夫氏や、松下幸之助氏は、起死回生した経験を持つ。(詳しくは(note経営の神様 稲盛和夫を生んだ生命哲学「笑顔と喜びの繁栄哲学」(大熊良樹著)に掲載) ここで重要なのは、人間の「いのち」が、単なる「肉体」ではないという事である。禅家においては、禅僧が「この糞袋め!!」という激烈な戒めを言う事があるが、これは、いのちの「霊妙(霊々妙々=霊性)を知らぬ者」に対する最大級の喝(いのちをよみがえらせる叱責=気合い入れ)なのである。

「いのち」が「人生劇場」を演じる!!

 やはり、「唯識」図を見て戴ければ、よくわかると思うのだが、「仏教心理学」。ここで最も重要なことは、人間の本質は「精神」(唯識でいうところの「心王識」)であり、広義でいう「精神」は、「精霊」的な部分から「神」的な核心までがあるという事(一識~十識)。

 それらをまとめて「精神(こころ)」と表現したりするのであるから、かなりあいまいである。しかし、本来、核心の意味での「精≪神≫」は、絶対に分裂はしないのである。あくまで「現われ」であり、100年千年もたてば、肉体もろとも「夢幻(ゆめまぼろし)」のように消えているのである。

 すなわち「光は分裂しない」が、その「光」に「心」という「スライド(思いという絵を描いたガラス)」を差し込むと「その映像」が人生の脚本に合わせた「テーマ」に合わせた「◎◎◎◎(自分の氏名)の人生」という画面に映る。それは、大きくは「性格」「感性」もっとはっきり言えば、「人間観」「人生観」に基くのである。

・・・という事は、「人間観」「人生観」を変えれば、人生は自由自在に変わる。変えることができるのである。(note「経営の神様 稲盛和夫を生んだ「繁栄いのちの法則」(大熊良樹著)参照) それは、まさに、稲盛和夫氏、松下幸之助氏の「人間観」「人生観」人生を観れば一目瞭然である。

人生は「映し世」でありこの身は「映し身」である

 その投影される世界(社会・人生・自分)そのものを「神道」では「映し世」といい、そこで生きる人間(あなた)そのものを「映し身」という。あくまでこの世は、悟りに立って観れば(あくまでも立脚点を『悟り』におかなければそうは観えない)「映画」(投影)であり、仮の世であり本体ではない(実相ではない)というのである。

「禅語」で時に「夢」という揮毫を書く(覚く)ことがある。それは、多くの現代人が思う「ドリーム」という意味ではない。消極的な「幻(まぼろし)」という意味である。

   神道でいうところの「映し世」「映し身」を、「本物」と思い、依存し、その「依存」を戒める意味で「夢(幻じゃぞ!!)」肉体がいのちの本物と思うていたら、いつか、「しまった!!」「なんで、こんなことに・・」と思う事になるぞ、という事である。

何のための人生か?使命を知ることの大事さ。


 では、なんのための人生なんだろうか?それは・・一番重要な部分にさしかかった!  

   次回加筆予定 8月21日


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(つつ”く)

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[2]内部理想の具現(無限生長)人間の使命(目的)
    
いのちが輝くために絶妙なる舞台で絶妙な役を演じる 

[3]内部理想の無限(色即是空)いのちの本質(性質)
    
無一物中無尽蔵 言葉の創造力で人生を創造する

20代大熊講師・禅僧修行時代①修正 - コピー - コピー

★プロフィール大熊理事長 1- コピー - コピー - コピー

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