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元遊郭街、八戸のディープタウン小中野散歩

昭和の雰囲気が色濃く残る八戸のディープタウン、小中野。
先日、ブラブラと約一時間半、友人と散歩してみました。

実は、小中野エリアをちゃんと歩いたのは初めて。
駐車場が少ないので(ってかどこにある?)、
車を停めて街をブラブラ、という感じではないもんなぁ。

小中野は昔、東北最大級の遊郭街だったそう。
とても賑わっていたのだろうと想像に難くないその街の雰囲気は、
今も面影としてだけ残っています。

細ーい路地を奥に入っていったら、
突然目の前が開けて不自然なほど広い通りが。

通りや建物を観察していたら
第一街人、通りがかりのお母さんに話しかけられました。

「昔この辺りは遊郭街だったのよ」
「この道路だけ広いでしょ? 花魁通りって言うのよ」
「花魁が行列作って歩いてたの」
「あの建物が遊郭だったのよ」

へー!
知らなかったぁ!!!

小中野が遊郭街だったというのは知っていたけど、
花魁道中の通りが今でも残っていたとは!!!
すごくない?
すごくなーい!?

遊郭だったのだと教えられた建物は民家なので
写真は掲載しませんが、代表的な元遊郭の建物はこちら↓

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登録有形文化財である「新むつ旅館」。
かつては「新陸奥楼」というとても大きな遊郭だったそう。

この新むつ旅館の前の通りともう一本、
不自然にクネクネ曲がっている広い通りが、
「花魁通り」なんだそうです。

「この辺は船着き場が近いでしょ。
 船が帰ってくると一気ににぎやかになったんだって。
 ここは船乗りたちの遊び場だったのね。」
と、前述した通りすがりのお母さん。

小中野と隣の湊町の堺には新井田川があり、
漁船が並んでいます。

なるほどそういうことか。
ということはきっと、
祖父も小中野で遊んでいたんだな?

母方の祖父は当時、大きな船の船頭(?船長?)で、
実家は小中野のほど近いところにあり、
若い衆がたくさん寝泊まりしていたとか。
(とにかく広い家でした)
その船員たちと遊郭に繰り出していたことは想像に難くありません。
どーなんだい、じーさん。


* * * * * * * *


「きっとこの街で泣いた女性も多かったでしょうね」
と、前述のお母さんが仰ってました。

泣いた女性も多かったでしょうね。
あの頃の文化とはいえ、望んでないけどそういう生き方しかできなかった女性もいたと思うのよ。
貧困とかね。
それに比べて現代人は、生きるための選択肢がたくさんあるのに、やれSNSだやれYouTubeだってうつつを抜かして時間をムダにしているでしょ。
ホントぜいたくな話よね。

耳と胸が痛くなる。
SNSマーケティングを生業としている私としては身につまされるお話でした。

「また何かあったらお話しましょうね」
と言って颯爽と自転車で駆け抜けていったお母さん。
突然現れた、街の語りべ。
また会えたらいいな。


* * * * * * * *


「小中野ってすごくおもしろいよ!」
という方は結構いらっしゃいます。
その意味がやっと分かった気がしました。

遊郭を中心に栄えた地域。
(空き物件も含めて)数々の商店が軒を連ねています。
さぞかし楽しい、いや、カオスな街だったんだろうなと。

写真を撮りそこねたけど
不自然に長〜い長屋的な建物もいくつか。
(ほとんどスナックだったようです)

ここ数年、小中野にはオシャレなカフェや書店など
元気なお店も増えています。

でも、どこを歩いてもたくさんの空き家や空き物件。

昭和好きにはたまらないけど、
同時に町の将来も心配になりました。

空き家は全国的な問題であり、八戸市内にも数多く存在します。
ちょっとがんばればどうにかなる話ではありません。

小中野のお隣、陸奥湊エリアは駅前中心に再開発が進んでいるけれど、
小中野はどうなのかしら。

(住民でもないし勝手な意見ですが)
小中野をほっとくのは本当にもったいないよなぁ。。

今度は写真を撮りながら、またじっくり歩いてみたいです。

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