祖父と野球が観たかった

野球の無い月曜日。
過去になったカレンダーのページをちぎると、もう7月のページが現れた。

7月、7月か。
7日と9日には「甲子園」と予定が書きこまれている。
その球場名と7という月を見て、ふと、祖父が7月生まれだったことを思い出した。

彼は私が高校生の頃に亡くなっている。なんと今年の9月で十三回忌だ。
今ではもう彼に対する感情はほぼ整理されているけれど、ふとしたとき「会いたいなあ」と思うのは今でもやめられない。

大好きだった。
私のことを可愛がってくれて、ちゃんと愛情をまっすぐ伝えてくれる人だった。
私が苦しんでいたときもそっと見守ってくれていた。
人生で初めて親しい人を亡くして、しかも故人が祖父だったものだから、長い間悲しみに明け暮れた毎日だった。
それぐらい大好きだった。

でも、そんな彼に関しても「嫌だなあ」と思うことがいくつかあった。
その中でも一番嫌だと思っていたのが野球だった。

元々彼の生まれ育ちは関東、それも新宿である。
(関係ないが奇しくも後に戸田へ引っ越している)
それなのに彼は、関東に住んでいた頃から熱狂的な虎党だったのだ。
曰く、周りが巨人ファンだらけだったことへの反骨精神らしい。
そんな彼は業務上で障害を負い、その影響で関西へ引っ越してきた。
無論、タイガースに満ち溢れた生活の幕開けである。

時代が時代だから中継が毎日のように流れている。
朝起きて最初の情報番組ではタイガースのコーナーも完備。
スーパーにもタイガースコラボの食品がずらり。
勝っても負けてもコンビニには一面がタイガースのスポーツ新聞が並ぶ。

本題こと仕事も転勤した結果かなりいい流れになったようで、何もかもがウハウハだったに違いない。

一方の私は、今でこそ立派なスワローズファンだけれども、なんと小さい頃は野球が大嫌いだった。

ルールがわからなくておもしろくない。
見たい番組が中継で邪魔される。
野球部の少年のノリが好きじゃない。
街中はどこもタイガースだらけ。
何より、せっかく祖父の家へ遊びに行っても中継に釘付け。

その頃は野球がいつ行われてるかすら知らなかったので、冬休みに遊びに行くと「野球がやってない!」と喜んだのをよく覚えている。

そんな私も紆余曲折を経て何がどうなったか、ずっと西日本に住んでいたというのに、神宮でのスワローズ戦や京セラでのWBC強化試合まで一人で行くくらいには野球・スワローズファンになっていた。

ただ、遅すぎた。
きっかけがきっかけとはいえ、私が野球をちゃんと見るようになったのは祖父の死後7年、2018年のことだった。

今更「もっと早くに野球を好きになっていたら」と思うことがある。
話のネタになる程度には面白いきっかけとタイミングで野球、およびスワローズを好きになっているので、あくまでそれは結果論でしかない。
でも、祖父が存命のうちに野球を好きになれていたら?
いろんな話ができたのだろうか、一緒に中継を見られたのだろうか、なんなら球場にだって行けたのだろうか。

ふとした折に会話がしたくなる。

「大好きだった鳥谷がロッテで引退したよ」とか。
「おじいちゃんでも絶対知ってる、石川と青木はまだ現役なんだよ」とか。
「散々抑えられたであろう高津臣吾がヤクルトの監督をやってるよ」とか。
「最後の優勝と同じく、今は岡田彰布が阪神の監督に戻ってるよ」とか。

それだけじゃない。

「近本や中野は走るし守れるし、大山とサトテルは一発が怖すぎるし、投手陣を打ち崩せない」って泣きついたら得意げな顔をするんだろうな。
「今年はちょっとしんどいけど、うちの三冠王! ムネくんだってすごいでしょ!」と自慢もしたくなる。

それからそれから。
打順とかスタメンとか考えたり。
WBCならきっと大谷翔平や吉田正尚の話で盛り上がっていた。
阪神ヤクルト戦や、試合日に贔屓同士がなければ他所の試合を野次馬感覚で、祖母の料理に舌鼓を打ちながら、一緒に祖父母の家で見ていたんだろうか。

自宅と祖父母の家はかなり近く、そして便利な立地なので甲子園球場までも近い。
ならば二人で、時たまに祖母やいとこと一緒に観に行けたのかな、とも思ってしまう。

二人一緒に内野三塁側の車椅子席でビールを飲んでいたかと思うとなんだかちょっとワクワクした。
「私がおつまみ買ってくるから」って二人でビール片手にジャンボ焼鳥でも食べていたんだろうか。
それぞれラッキーセブンで得意げにジェット風船と傘を見せあっていたかもしれない。

いろいろ想像してみて少し寂しくなってしまった。
一度彼と野球を観てみたかった。野球の話をしてみたかった。
それだけじゃなくて他愛のない話だってまたしたい。

そろそろお盆だし、ちょっとくらい帰ってきてくれないかな――なんて考えつつ旧祖父母宅に向かう。
4月に甲子園でお供え物としてタイガース仕様のそうめんを買ったはいいものの、今の今までお供えできていなかったのだ。

合鍵で上がり込んでそうめんを供え、お鈴を鳴らして仏壇に手を合わせ、壁の額縁で笑う祖父母に手を振って家を後にする。
毎日手入れをされてはいるが住人はいなくなってしまった家の壁には、思い出の写真がたくさん増えて、飾られていたはずの鳥谷のユニフォームなんかとっくになくなっていた。

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