僕とマリーアントワネットと夜道


振り返ってみれば、こんなことでよかったのか…と思うことばっかりだ。


ストレスが溜まっている時、収めるためには浪費と思っていた。

小さい頃は、ムカついた人がいたらブラックブラックガムとビッグカツを買って、この野郎と思いながら噛みごたえがあるこの2つに頼っていたものだ。

最近は、わりとお金を自由に使えるから、急に思い立ってワイヤレスイヤホンを買ったり、Uber eatsでバカ食いしたりしていた。いや、しなければいけないと思っていた。


話は変わるが、好きな歴史上の人物を聞かれたら、マリーアントワネットと答える。

彼女は「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」という言葉を残している。(厳密には言ってないそうだが)

庶民が飢餓で苦しんでいる中、無知かつ、無神経な彼女の性格を象徴するものだ。

彼女が言った状況は悪いが、言葉としてはいい言葉だと思った。足りないならもっといいものを。ガムでストレスが無くならないなら、Amazonや配達員にイヤホンや寿司を運ばせればいいじゃない。

だから僕は、英単語は覚えられないなら「キクタン」というものを買ってみたり。

塾のバイトで上手く教えられないから、めちゃくちゃ勉強してからいってみたり。

好きな地下アイドルは情報もテレビ露出も少ないので、いつのまにか大人気アイドルを推すようになった。

常により良いものを時間やお金をかけて取り入れ続ければ、事態は好転するということを信じて疑わなかったのだ。


しかし、ストレスのために浪費をすると、お金は無くなる。時間も無限にあるものではないので、その他のことが疎かになっていく。

それでもストレスは永遠に無くならない。


どうしたものかと思案しながら、休日の夜道をコンビニに向かって歩く。

ふと周りに目をやると、朝は忙しなく、絶え間なく動いている大きな道路が、一定の感覚で光るだけの信号機を残して、閑散としている。

遠くにネオンが見える。「パチンコ」の「パ」だけ狙ったかのように消えている。直した方がよくないか?

そんな風景を見て、スーッとストレスが消えていくのを実感した。

確かにそれだけでストレスが全部消えるわけではない。だけど、「きっとこの街の一部なだけで、俺の悩みもこの街では普通のことで…」なんて、ポエミーなことを思っても、きっと包み込んでくれる優しい夜道の包容力が、とても好きだと気がついた。


「こんなことでよかったのかぁ。」


そういえば、英単語はキクタンを使わなくても、音読してから書いたら、すぐ覚えていけたな。

塾で教えるときに相手を褒めてみるだけで、子どもがやる気になって、教えるの楽になったな。

「こんなことでよかったのかぁ。」と思う瞬間ばかりだ。


「マリーアントワネットさん、違ってましたよ。」と彼女に言いたくなったので、少し調べることにした。そうすると、例の「パンがなければ、ケーキを食べればいいじゃない」という発言の真意の一説にこういうものがある。

当時はパンよりケーキが安かった。だから高いパンがないなら安いケーキを食べて、みんなで乗り越えればいいじゃない。

つまり、彼女は「パンを食べなきゃという固定概念に縛られず、ケーキも食べる。そんなことでいいじゃない!」という気持ちで言ったかもしれないのだ。

そんなことでよかったのかぁの大先輩だったかもしれない。


マリーアントワネットをより好きになった。





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