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乗り越えた人アレルギー

“お悩み相談室”を訪ねたことってあります?

ラジオや雑誌には、真っ直ぐに成功した人や大失敗から逆転した人に自分の悩みを相談するコーナーがたくさん設けられている。

ズバッと解決法を出して相談者を導いてくれる人や寄り添って一緒に考えてくれる人。はたまた辛口で切り捨てるような人もいる。沢山の“お悩み相談室”がマンションのようにずらっと開かれて、自分に合った部屋をノックすれば、悩みを相談できる世の中である。

そんな“お悩み相談ヒルズ“にわざわざ赴かない人でも、気軽に周りの人に開いてもらっているのではないか?

友人、恋人、親、先生。話しやすい環境と悩みの種を抱えたものがいれば、すぐに“お悩み相談室”を開業できる。

斯くいう自分も、沢山のお悩み相談室を訪ねてきたし、もっというと、後輩は未だにノックしてくれる。こんな僕にでも、相談してくれる人がいるのは嬉しいことだ。

でも、一つ決めていることは親に開いてもらうことはやめている。さらに広げれば、年上の人にも開いてもらうのをためらう。



大学生の時、本当に何もかもやめたい時があった。

上手く行かないことばかりだし、自分ばかり損をしていると思って、サークルもバイトも大学自体も何もかもやめてやろうと思っていた。

たまたま会ったサークルのOBの先輩に「今のサークルに対しての悩みとかある?」と聞かれた時、思い切ってぶちまけてみた。今本気で悩んでいること、アイツのあの行動の意味がわからないこと、やめたいと思っていること。全てぶちまけた後に、OBの人は「あーそれ俺もあったわ!みんなそうだよな、だから大丈夫!結局楽しんだ方がいいから!」と慰めてくれた。

「みんなそうだよ」という言葉が嫌いな人は一定数いると思う。自分も嫌いだ。ただその一定数の嫌いな人はその言葉の先に「だから我慢しなさい」という意味が含まれているからと意味付けをしている。でも自分はそういうことではないなとずっと思っていたので、なんで嫌だったのかずっと心に残っていた。

あの日、僕は「あぁこの人に相談するのは間違いだったな」ということは確信した。ただ嫌な理由を言語化できなかった。



今年の5月の話。本当に仕事をやめたいなと思う出来事があった。職場で泣きそうになったけれど堪えて、その日は実家に帰ることにした。

母親は「なんかあったの?」と聞いてきたので、「仕事やめたい」とだけ呟いた。人生で初めて母親の相談室をノックしてみた。

「それ、五月病だよ。誰にでもあるよ?やめてどうするの?私もそういう時あったけど、今乗り越えてなんとかやってるんじゃん?」

相談室のドアを勢いよく閉めたことを覚えている。あとはドア越しになんか言ってた。でも、聞き取れなかった。


僕は“お悩み相談室”に解決法を求めているわけでは無かったみたいだ。「俺だけじゃないんだ!この悩みを抱えている人!」を求めているわけでも無かった。

自分の悩みを自分だけの悩みと認めてくれる人が欲しかった。もっというなら、一緒にどうしようと悩める人、今現在同じことで悩んでいる人と話したかった。

同じ悩みを乗り越えた人は自分の乗り越え方を自慢げに語る。それがとても苦手だった。俺と同じだ!とかみんなと同じだよ!で、片付けられたくなかった。

僕は“乗り越えた人アレルギー”だった。




だから僕は後輩から相談された時は本当に苦戦する。

今のサークルのこと、大学のこと、恋愛も友人関係も勉強も。

もうサークルに関しては関係のない立場だし、俺もそうだったって言いたくない。大学も適当に過ごしたし、友人関係もせまーく生きてきたから、特段上手いわけでもない。そしてそれを、みんなそうだよ?とか俺もそうだった。と言いたくない。てか、他の人に相談あんまりしないからちゃんと乗り越えてないことの方が多い。未だに寝る前に思い出して枕に『ワーーーー!!!』ってやるし。解決法なんて知らないし。どうやってみんな相手を傷つけずに、反感を買わずに、相談室を開いてるの!?え!?乗り越えた人アレルギーの人、絶対いるやん!!ねぇ!






あ、この悩みだけは解決法を知りたいです。










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