【ぶんぶくちゃいな】「進撃」の北京故宮博物院

わたしは、中国北京にある「故宮」、故宮博物院にあまり良い印象がない。

確かに歴史的文物としては意味のあるものだし、北京を訪れる人には必ず一度は行ってみてほしい場所ではある。だが、わたし自身は1980年代に初めて行って以来、1990年代、2000年代、2010年代とどの年代にも何度か足を運んだが、イメージは悪くなるばかりだった。

もちろん、1980年代に行ったときは初めてだったし、「これがあの故宮なんですね!」という初々しい喜びがあった。だが、建物の中は薄暗く、石造りの床のせいか、ひんやりとした冷たさに、陳列物がうっすらホコリを被っているのが見て取れた。

正直な話、当時の北京には町中いたるところに「もっときれいにすればいいのに」と思うような場所や文物があった。だから、中国お初のわたしは、もともと北京の気候は乾燥気味で、毎年のように黄砂に襲われる日常に暮らす人々とって、ホコリなんかいちいちかまっていられないのだ、と解釈した。

それでも北京に暮らすようになった21世紀になって上海を訪れて一番驚いたのは、上海の地下鉄で座席に座っている人たちの足元がそろってぴかぴかだったことだ。ホコリに慣れた北京の人たちが履いている革靴があそこまできれいに磨き上げられていることはなかったし、ずらりと座った人たちの靴があれほどぴかぴかなんて北京ではあり得なかったからだ。わたしもすっかり北京のホコリに慣れきってしまっていた。

90年代に香港人の友人と故宮を訪れたときは、人の波、そして広大なんだけれど、同じ様な建物がズラズラと続くばかりで、安っぽい土産物や模造品を売る店があちこちに並び、期待した高級感がなくて二人とも疲れ切ってしまった。陳列されている文物にはガラスケースはついていたが、やはりケース自体が薄汚れていて、やはり大事にされているようには思えなかった。

2000年代に訪れたのは2003年、ちょうど中国を中心に急速に広がったSARS(重症急性呼吸器症候群)のおかげで、海外どころか地方からの観光客の北京入りが制限されていたときだった。日頃は人気観光スポットの故宮が「今なら人っ子一人いないよ」と人づてに聞き、映画「ラスト・エンペラー」気分を味わいに行ったのだった。人のいない故宮の眺めは壮大だった。とはいえ、国家の一級文物だから人がいないからといって特に何ができるでもなく、ただただ歩き回っただけだったのだが。

2010年代に行ったときは、故宮内宮の最南端の門、午門前に設けられた入場券売り場で延々と並ばされて閉口した。それまで入場券を買うためにそんなに待った記憶がなかっただけに強烈に覚えている。

当時はすでに中国の台頭が世界的にも認められて世界各地から観光客が押しかけていたし、国内でも観光ブームが起きていて「お上りさん」が詰めかけており、売り場は空前の阿鼻叫喚状態。だが、運営者はそれも「故宮人気の一つ」と考えているのか、その混乱状態をきちんと整理しようという意図はないように見えた。「ほっておいても故宮には客が来る。並ぶのが嫌なら見なくてもいいんだよ」とでも言うように。

そんなふうに入るまでに苦労したのに、満を持して入ったにもかかわらず、標識に沿って歩いていると、あっけないほど簡単に最北の出口、神武門に到達してしまい、「あれ、故宮ってこんなに小さかったっけ?」と何度も来ていてもさすがに意外に感じたのだった。

昨年は、中国で清代を舞台にした宮廷ドラマが次々と大ヒットしたことはこの「ぶんぶくちゃいな」でも触れてきた(「大ヒット『後宮』ドラマ『延禧攻略』鑑賞記」)。ドラマでは絢爛豪華に飾り立てられていた皇帝一家の住まいも、実は撮影が行われたのは故宮ではなく、浙江省にある横店と呼ばれる巨大撮影スタジオに作られた故宮セットで、わたしが実際に故宮で目にしたのは明らかに後にそこに設置されたにもかかわらず色あせて薄汚れた布地やホコリだらけの窓枠とは大違いだった。「故宮の文物がこっそり持ち出されて売却されている」というウワサを聞いたのも1度や2度ではない。ドラマで描かれる故宮(皇帝たちが暮らしていた当時は「紫禁城」と呼ばれていた)の様子が素晴らしければ素晴らしいほど、わたしの脳裏に焼き付いた現実の故宮はうら寂しさしかなかった。

さらに、2007年、「故宮は中国文化の象徴だ。故宮に出店しているスターバックスは文化の侵略だ」というブログが注目され、2000年から故宮内で営業していた米国のカフェチェーン「スターバックス」(以下、スタバ)が追い出される、という事件も起きている。故宮とスタバ、確かに言われてみれば変だが、わたしは2003年に訪れた時、このスタバでコーヒーを買って通行人も通らない故宮の階段に座った。そして、ちびちびそれを飲みながら、「うーん、コーヒー+故宮もなかなか味わい深いなぁ」と思いつつ、誰もいない故宮を眺めたことを覚えていた。

実際、故宮にも観光客を当てにしたお茶屋はあったが、「親方日の丸」ならぬ「鉄鍋五星紅旗」気分なのか、それとも故宮なぞを観光するヨソ者をバカにしているのか、お茶代はバカ高いのにぬるいわ、薄いわ、まずいわ、サービス悪いわ、出されるお茶請けもやる気ないわ、加えて店内は薄汚れているわ、という典型的な中国の観光客「タカリ」産業と化していた。だからこそ、敢えて飲み慣れたスタバを選びたい、という気持ちは逆に観光客サービスとしては優れた選択だったと言える。

だが、スタバ騒ぎを引き起こしたブログ主は、「自分も外ではスタバに行くが、故宮が中国文化の象徴であることには変わりなく、スタバはふさわしくない」と言い切った。

騒ぎを耳にした時、わたしがまっ先に感じたのは「中国文化の象徴」なら、もっと大事にしろよ、という思いだった。加えてブログ主に「中国文化とは」についてインタビューしたが、彼がいう「象徴」とは故宮の「中身」ではなく、見てくれや文字通りの外見だけを指していることに、「どいつもこいつも…」とその浅見さにため息しかでなかった(このブログ主は当時全国テレビ放送の中央電視台の人気アンカーだったが、その後収賄で逮捕されて現在服役している。このインタビューは拙著『中国新声代』に収録した )。

このスタバ騒ぎにはさらにオチがある。スタバが故宮を撤退した後、スタバの店舗デザインをそっくり使い、「百年老舗」という大きな看板を掲げたカフェが出現したのである(ということは、2008年前後にわたしはまた故宮を訪れたのだろう。全然記憶にないのだが-笑)。つい先年までスタバがあったところに店開きしておいて「百年老舗」もないもんだと呆れ、だいたい100年前は清代で、皇帝がコーヒーを飲んでたのかよ?と心の中で突っ込んだ。

これが「中国文化の象徴」かよ。だが、今振り返ってみると、元中央電視台アンカー氏が言った「故宮は中国文化の象徴」という言葉は、最大の皮肉に聞こえなくもない。

●レーザー光線「ディスコ」と化した故宮

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