【読んでみましたアジア本】移民労働者が支える国の個人と家族の物語/西尾善太『ジープニーに描かれる生: フィリピン社会にみる個とつながりの力』(風響社)

フィリピンという国について、もともと確固たる知識を持っているわけではなかった。それこそ、まだフィリピンどころか世界についてもあまり基礎知識を持っていなかった頃にフィリピンでは軍を巻き込んだ政治権力闘争が激しく、大統領候補として人気の高かったアキノ氏が帰国した途端、空港で暗殺された事件だったり、その意志を継いだ夫人のコラソン・アキノ氏が大統領に選出されたこと(確か、アジアで初めての女性元首だったはず[*注])、しかしその後も政争や血なまぐさい事件が途切れないまま、政治的には極端に揺れ動く国…まぁ、そんなイメージしか持っていなかった。

[*]読者から「アジア初の女性首相はスリランカのシリマヴォ・バンダラナイケ」という情報をいただきました。但し、スリランカは大統領制を採っており、「元首」は大統領なので正確にはやはりコラソン・アキノが最初の女性元首ではないかな?

だが、その後わたしにとって第二の故郷となった香港は、当時とにかく東南アジアの国々と文字通り「親しい」関係にあった。だから、地理的に近いフィリピンは市民の格好の旅行先として、当時まだ日本ではそれほど注目されていなかったタイやマレーシアとも並ぶ人気国だった。逆に日本旅行はまだまだ香港の一般市民にとって高値の花だった。

さらにもっとその身近な存在を漂わせていたのが、一般の家庭に雇われていたドメスティック・ワーカー、つまりお手伝いさんとしての出稼ぎ労働者たちの存在だった。

お手伝いさんというと、日本ではお金持ちの豪邸に住む人たちの特権というイメージだが、1990年代の香港ではすでにフツーの中産階級の家庭でも住み込みで彼女たちを雇うのが習慣化しつつあった。本来なら家庭内の雑事担当ということでビザなども取得しているはずなるのに、雇用主が勝手に経営している商店の手伝いまでさせられている人も少なくなかった。さすがにわたしは暴力は目にしたことはなかったけれど(暴力事件は存在品かったという意味ではない)も、雇う側は「徹底的に使い倒す」つもりなのかしらん、と思うような働かされ方で、見ていてちょっと気の毒な場面には何度も遭遇した。

それでも他人の家庭のことなので口出しもできず、そしてたとえ口出ししてかばってみせたところでその一瞬で終わる自己満足的な行為しか思いつかず、結局それでも働き続けるしかない(その仕事を必要としている)彼女たちの意図を尊重する意味で、わたしは気を使いつつも雇用主の言いつけどおりに働く彼女たちをただ黙って見ているしかなかった。

実は今年のサッカーワールドカップで、開催国のカタールのスタジアム建設中に数千という移民労働者が亡くなったという外国メディアの報道に、ふと厳しい条件下で働いていた彼女たちを思い出した。

調べてみたところ、カタールの報道からは「フィリピン」という国名は出てこなかったけれども、前掲の記事では「いないわけではない」ことに触れている。とにかく犠牲になったとされるその数、そしてもちろんそれを上回る労働者の数に世界、特にアジアはまだまだ多くの移民労働者を送り出していることを痛感した。

さら香港暮らしで初めて知ったのは、フィリピンという国は海外で働く移民労働者の送金が経済を支えているということだった。本書によると、その額は同国GDPの10%を占めているという。受け入れ先でのその数を見ているだけで、その多さは理解できたが、実際にフィリピン国内ではこうした移民労働の存在はどう受け止められているのか。ずっと気になっていた。

本書は、「ジープニー」という意外な視点からそんなフィリピンの人たちの生活事情を紹介する。

●庶民的乗り物から見るフィリピン社会

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