【ぶんぶくちゃいな】「一帯一路」:日本参加を前に知り、考えるべきこと

先週の中国トピックで最大の話題はやはり5月14-15日に、約30カ国の国家首脳及び国際通貨基金、世界銀行、国連の責任者が北京に集まって開かれた「一帯一路」フォーラムだった。

日本からも階俊博・自民党幹事長が参加し、安倍首相がこれまでの姿勢を180度変えて日本の「一帯一路」への参加の可能性を示したことが大きく報道された。その言葉には「条件が整えば」という枕詞が着いたものの、北朝鮮だってアメリカとの首脳会談に「条件が整えば」とつけている。断固拒絶し、嫌悪感丸出しだった頃のことを思えば、「条件」なんて口先一つ、もったいぶっているだけなのだと感じさせる発言だった。

おかげで日本メディアもこれまでのネガティブ面からの分析ではなく、「一帯一路」フォーラムを堂々と報道している。

それにしても、日本の報道の「自由」はいつから政府の姿勢に左右されるようになったのか。日本語の、日本人に向けた報道であっても、政府が批判的だとメディアも批判的に報道し、政府が歓迎すればメディアも喜んで真正面からの報道に徹することが、「日本の利益」とは限らない。周回遅れの日本の「一帯一路」参加意向表明が、日本メディアの周回遅れの「一帯一路」の経済効果報道につながり、今後は日本の経済界も「一帯一路」期待論に溢れ出すことだろう。

「周回遅れの報道」というのはどういう意味なのか。「一帯一路」フォーラムを報道する外国メディアの記事を読むと分る。たとえ、自国の首脳がフォーラムに参加していても、メディアは必ずしも経済効果ばかりを強調しているわけではないということだ。逆に外国メディア報道では、すでに運用が始まっている「一帯一路」の現状についての冷静な分析がなされていた。

わたし個人は「一帯一路」政策の今後について、あまり楽観していない。一方で、それが「中国主導」であることばかり取りざたして背を向けようとする態度は現実的ではないと考える。現実を見ようとせず、日本社会にまだ残る古臭いイデオロギー思想を利用して背中を見せ続けてきた日本(政府)は、中国が世界を動かしつつある現状において選択肢を失いつつあると思っていたところ、やはり日本は「一帯一路」を受け入れざるをえない立場に追い込まれてしまった。

首相の「条件が整えば」の言葉は、この「追い込まれた」緊迫感を和らげたいという思いがこもっている。「追い込まれた」のではなく、あくまでも「熟考した結果の選択である」と言いたいのだ。当初の状況分析の間違いについて反省を口にせず、「選択」をちらつかせるところに、今の自民党政権の狡猾さが現れている。

だが、中国は選択肢がなく自分のところに駆け込んで来る相手を、自身の計略に囲い込む手法を心得ている。国内の政治や民衆の囲い込みを見てもそうだし、外交面でもかつてダライ・ラマと会談して中国に完全シカトされ、結局1年半後に企業に泣きつかれて謝罪外交したキャメロン元首相の例は顕著である。その結果、やはり日本が「中国主導だから」とそっぽを向いたアジアインフラ投資銀行(AIIB)設立において、イギリスが参加表明したとたん、先進国を含めた諸国のなだれ込み参加を促したことを覚えておられるだろうか。そのAIIBにも日本は今、二階幹事長や黒田日銀総裁までが参加の可能性も公言しているのだから。

日本にはもう選択肢がない。一旦「折れた」相手をじわじわと締め付けるのに長けている中国に対し、メディアですら政府の意向を離れた客観的な分析報道ができない日本が、いかにその選択肢を意識し主張できるのか、あるいはイニシアチブを握れるのか、大変疑問だ。

それを考えるために、今回の「ぶんぶくちゃいな」は政府と一心同体になった日本メディアとは違う視点から、海外メディア報道をもとに「一帯一路」の現状をまとめておく。

●「一帯一路」とはなんなのか

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