【ぶんぶくちゃいな】報道の自由の象徴に見る「試される香港」

香港のFCC、外国人記者クラブ(Foreign Correspondent Club)は、かつての政治、経済の中心地だったセントラル(中環)中心地からちょっと坂を上ったアイスハウス・ストリート(雪廠街)にある。そこはまだエアコンが普及していなかった植民地時代に、植民地のエリートたちが亜熱帯の香港の暑さをしのぐための氷を貯蔵する倉庫があった。ここから人足たちが大きな氷を肩に担いで、坂のもっと上に暮らす金持ちたちの家に運んだそうだ。FCCの建物もまた、築126年の乳業会社の元倉庫だ。香港の政治の中心が今世紀に入って完成した新香港特別行政区政府庁舎とともにアドミラルティ(金鐘)に移っても、外国人エリートジャーナリストたちはこの由緒あるブロック造りの建物から動こうとしないFCCに通い続けている。

香港に行く機会があったら、ぜひこの建物の周りをぐるっと歩いてほしい。すぐそばにはやはり英国植民地時代から続く、うっそうとした植物公園があり、植民地時代のエキゾチックなムードを感じられる。FCCのレストランやバーのインテリアものぞいていただきたいところだが、会員制なので非会員は一部足を踏み入れて眺めることはできても、会員が付き添っていない限り施設利用はできない。ただ同じ建物の半分を芸術NGO「芸穂会」(フリンジクラブ)が展覧会場や小劇場、ライブ会場、カフェにして公開していて、開館中であれば誰でも自由に入れるからそこで雰囲気を楽しむのもいいあろう。

わたしが香港で働き始めたとき、勤め先の編集プロダクションのオフィスがこのFCCのど真ん前だった。FCCメンバーだった上司とときどきそこで食事をする機会があった。会費はそれなりに高いが、一旦メンバーになってしまえば、かなりレベルの高い料理(西洋、中華)を同レベルの外のレストランに比べて安価で味わうことができる。また、わたしのイギリス人上司は仕事が終わってから、わらわらと集まってくるジャーナリストたちと情報交換も兼ねてバーで軽く一杯やるのも楽しかったようだ。

もちろん、FCCはただ飲み食いするだけの場所ではない。当時はまだインターネットがない時代だったから、入ってすぐのところに細かく分類されたボックスがあり、会員や海外から出張でやってきたジャーナリストがFCC付にしておいた自分宛ての郵便物を受け取ることができるようになっていた。また、会員同士の伝言板もあり、メディア間の連絡やイベント通知もいつもところ狭しと貼られていた。また出張で香港に来た海外のジャーナリストたちやフリーランスが使える臨時オフィス、そして新聞や雑誌を取り揃えた図書室などの施設があった。

だが、そうしたハード面でのサービスもさることながら、何よりも会員たちが重視していたのが、FCC主催の会員向けイベントである。ときには香港を訪れた、海外の政府首脳の会見も行われたりもしたが、最も人気なのが当時の香港総督、著名な学者や作家、ジャーナリストらを招いて行われる小規模なランチミーティングだった。50人も入れないようなダイニングルームでゲストがスピーチをし、参加者とランチを取りつつ交流する。小規模な集まりなので、世界的に「超」がつくほど有名な人に直接質問をぶつけて意見交換できる。わたしもあまりのゲストの豪華さに真剣に入会を考えたこともあったが、個人会員は会費が高すぎて断念せざるを得なかった。

日本にも東京日比谷に同様の機能を持った外国人記者クラブがあるが、こちらは年々外国メディアから日本に送り込まれる記者が減っていて、会員数が減少の一途をたどっていて会員確保に四苦八苦していると聞いている。主権返還の香港では日本メディアの多くが中国へ北上し、香港駐在事務所を閉じているのは知っているが、もともと日本メディア関係者でFCC会員になっている人は少ないと聞いていたので、大した影響はなかったのかもしれない。

今でも香港に行くたびに古式豊かなFCCが健在なのを見ると、わたしはなんとなくほっと安心する。それはたぶん、香港という土地でまったくの偶然から西洋人だらけの環境でメディアにかかわるようになったわたしにとって、その最初の一歩とともに見上げたらFCCがあったせいだろうと思う。自分の手は届かなかったが、そこはわたしにとって身近な、西洋的メディア業界の象徴なのだ。

●植民地ムードが残る街にこだました政治スローガン

ここから先は

5,991字
この記事のみ ¥ 300

このアカウントは、完全フリーランスのライターが運営しています。もし記事が少しでも参考になった、あるいは気に入っていただけたら、下の「サポートをする」から少しだけでもサポートをいただけますと励みになります。サポートはできなくてもSNSでシェアしていただけると嬉しいです。