【ぶんぶくちゃいな】中国報道における「フェイク」

ネット上で日本が「世界報道自由ランキング」で2015年に61位2016年に72位と順位を下げていることについて論じている記事を読んだ。調査対象国となったのは180の国及び地域。筆者は幾人かの現役日本人ジャーナリストがその結果に「違和感」を示したことを挙げている。

そのうち、フリーランスジャーナリストの江川紹子さんが72位という日本の順位が、69位の香港では2015年に出版社職員が中国政府に拉致されたことを理由にそれよりも低いことに疑問を呈したことを伝えている(江川さんの記事はこちら)。

72位になった日本のジャーナリズム環境について、同ランキングを行っている「国境のない記者団」はこう講評している。

《日本のメディアは世界で最もパワフルなものとして知られるが、「国家機密」を除いて何を取材するかは自由である。このなんともぼんやりとした区分は大変厳しい法律で守られており、それがジャーナリストたちが調査に乗り出すことをためらわせている。福島第一原発事故、天皇一家のプライベートな生活、そして日本の国防などはすべて「国家機密」とされている。》

一方で69位の香港についてはこうだ。

《香港メディアが中国政府といかに独立性を保つかは情報の自由にとって最も主要な課題となっている。メディアはまだ香港や中国大陸の地方政府に関するセンシティブな話を報道することはできるが、中国中央政府の影響から地震の報道姿勢を守るために闘う必要があることがますます明らかになっている。中国インターネット大手のアリババによる香港メディアの買収などが、大きな困惑材料となっている。思い切った発言をする、たとえば「アップルデイリー」のジャーナリストたちなどが、中国共産党政府が雇ったとみられる手飼に暴力を振るわれるなどの例も起こっている。》

確かに、「暴力」そして江川さんが触れているような「拉致」などが現実に起こっていることからすれば、香港のほうが日本よりもずっとずっと危険で深刻な状況に置かれているように思えるのかもしれない。だが、「報道の自由」とは、ジャーナリズムが直面する抵抗勢力が行使するのが「暴力」という、実際の体力的ぶつかり合いだけを重視しているわけではないということに注意が必要だろう。

日本人は特に力と力の物理的なぶつかり合いを嫌う。これは別に他の国の人が暴力的なことを歓迎するという意味ではない。日本人社会で日常的に暴力的なシーンを目にする機会が少なく、そのために物理的な力のぶつかり合いに慣れてない、免疫がないことと大きく関係している。たとえば、香港でいえば、香港の最大の懸念要素となっている中国ではまだまだ暴力が日常的に存在しており、少なくともそれをたびたび目にし、また身を呈して戦っている人たちからすれば、「なんともぼんやりとした区分」などにびくびくしているようなジャーナリストたちこそ、生ぬるい。その生ぬるさに自ら身を委ねている状態がジャーナリズムにとって好材料になるわけがない。

香港のジャーナリズムは昨今、そうした中国的な暴力手段に直接さらされるようになり、それに巻かれまいと抵抗する勢力もかなり存在している。今週のニューズクリップで紹介したドナルド・ツァン元香港特別行政長官の汚職容疑や、また2014年の雨傘運動の際にデモ参加者を複数で暗がりに連れ込んで殴る蹴るの暴行を働いた警官7人への懲役判決もすべてメディアが直接暴き、捕まえて離そうとしなかった結果である。

●ライターにきちんとした報酬を払わないメディア

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