【ぶんぶくちゃいな】姿消した秦剛:その舞台裏の「点」と「線」を拾ってみた
毎日暑い日が続いている。中国政府首脳部は河北省の海浜都市、北戴河で恒例の会議に入ったらしい。同会議は水泳が趣味だった毛沢東のもとに、避暑を兼ねて首脳部が集まって始まり、何が論じられるのかは完全非公開。しかし、その年の政治後半戦が決まることが多いとされ、メディアではそこにどんな専門家が呼ばれたかなどからその傾向を読み解こうとする重要会議なのだ。
2012年にはこの会議の後、同年秋に党総書記に就任することになっていた習近平が2週間ほど公開の場から姿を消した。当時は「ちょっとした手術を受けた」とか「北戴河で主席人事に異論が出た」などという説もあったけれど、結局今に至るもなぜだったのかは明らかにされていない。毛沢東の多くの秘密は、かつて身辺を守っていた医者によって後に多くが明らかになったが、習近平の日常を明かすのは一体誰だろう?
この習近平の失踪は、外交部長(外務大臣に相当)だった秦剛が6月末から姿を見せなくなってメディアでたびたび引き合いに出された。でも、習近平はその後予定通り党総書記になり、国家主席になった。だからこそ、今振り返るとあの2週間に何があったのだろうと興味を引く。特に北戴河会議の後だったから。
今回の北戴河会議では「人事を巡る混乱」が話し合われるのではないかと多くのメディアが伝えている。そうであれば、そこでは我われがこれまでニュースで目にしてきた、高官の罷免や更迭バナシだけではなく、その原因となった問題も語られるはずだ。なぜ昨年12月末に外交部長になったばかりの秦剛がわずか7カ月という最短記録でその座を追われたのかも大事な議題のはずだ。
もちろん、外野席にいる我われにはその正解はわからないままだが、これまでの秦剛やその他中国政府トップの動きについての報道を遡って読んでいたら、その理由がなんとなく見えてきたような気もするので、ここにまとめてみる。
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