【ぶんぶくちゃいな】中国当局の「ファン経済」叩きはどこへ行く?

中国で「アイドルブーム」叩きが白熱化し、ちらちらと日本のマスメディアにも取り上げられるまでになった。これはこれで大事件である。

中国のアイドルブームは、「韓流」とともにやってきた。いまでは「K-Pop」という言葉で呼ばれる韓流にとって、たぶん中国は海外プロモーションが最初に大成功した国のはずだ。中国で韓流が認知されて人気を集めるようになったのは日本よりもずっと早く、1990年代の終わりには中国芸能関係者にとって無視できない潮流になっていた。

わたしは昔も今も、韓流にはとんとご縁がなく、興味もなく(バカにはしてない)、具体的な知識もないが、なぜそんなことを覚えているかというと、ちょうど韓流が中国で台頭し始めた2000年ごろ、当時の中国では知らぬ者はいない超大物芸能人の家で居候をしていたことがあるからだ。そこで韓流が中国の市場に与えつつある影響を直接耳にすることができたし、実際にその家で働いていた農村出身のお手伝いさんも、大きな声では言わないものの韓流に関心をもっていた。

その超有名人が当時住んでいたのは、団地の入り口には門番もおらず、建物自体にも出入りする人を監視するような管理人が常駐しているわけでもないマンションだったが、そこにファンが押しかけてくるといった事例はわたしが知る限り、起こっていなかった。たぶん多少はあっただろうが、それは決して「日常茶飯事」ではなかった。わたしが記憶しているのは、近所の誰かが「ぼくが作った曲です。これを歌ってくれませんか」というメモとテープが、玄関のドアのところに置かれていたという程度だった。

良き時代であった。

だが、1990年代後半から香港や台湾、そして日本の芸能界を意識してタレントの養成や番組作りをしてきた中国の芸能市場は、2010年頃には完全に韓流に凌駕されていた。ただし、韓国スターは日頃は韓国で活動しているから、中国のファンはネットやテレビ、その他映画などのイベントを楽しむ以外は、街角で売られているアイドルたちの顔写真がついたグッズを購入する形でその「欲望」を満足させていた。時々中国に降り立つ韓流スターたちをひと目見ようとファンが集った、という報道は増えていたものの、それでもスターたちは遠く別の国にいたから、おっかけもそれほど白熱化することはなかった。

そんなブームぶりを、中国芸能界が自国スターに向けて再生産し始めたのはその頃だった。スターがいくところにファンが集まり声援を送る。当然のことながら、番組やアイドル養成の手法を熱心に韓国に学んだ結果、芸能マネジメントは「ブームの作り方」も同時に学んだ。また習近平が国家トップになった2013年以降はSNS上における政治的、社会的なさまざまな規制を受けて激減しており、その代わりに「微博 Weibo」(以下、ウェイボ)が注力したのが「エンターテイメント性」たっぷりの中国芸能系の開拓だった。

2016年に韓国が在韓米軍に対北朝鮮対応のTHAADミサイル設置を認可。その射程距離範囲内に中国東北部が入るとして中国政府が大反発、韓国に決定の撤回を求め、さまざまな分野において韓国との往来を排除したことにより、芸能界でもあっという間に韓流がしぼむ。その穴を埋める形で中国の芸能人に注目が集まり、空前の中国アイドルブームが到来した。

今回、アイドルブーム規制の声が上がるきっかけを作った呉亦凡は、2012年に韓国ボーイズグループの一員としてデビューし、その後韓国の事務所との契約破棄で裁判沙汰まで起こして中国に戻ってきたアイドルだ。彼にまつわる事件についてはすでに、《「鏡よ鏡…」現代香港アイドルブーム考》で書いたが、その後彼が正式に逮捕されたことで、いやもしかするとその逮捕も含めて、「ファン経済」叩きはしばし続くと言われている。

いったい、中国の「ファン経済」はどれほどの規模なのだろう?

●脱税…よりも大事なのは当局のメンツ


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