《劉健威コラム:賛成はしない だが反対もしない》(香港「信報」)
わたしの古い友人である香港人コラムニストの劉健威さんによる、香港立法会選挙についてのコラムをご紹介します。9月4日に行われた投票では、保守中国派が40議席、民主派が29議席、そして独立派が1議席(初出馬でトップ当選)という結果となりました。そのうち、民主派に含まれている20代の若い「本土派」あるいは「香港独立派」と呼ばれる候補たちの躍進が注目されました。なぜそのような結果になったのか、香港人の彼が解説します。
投票を終えてから、友人もわたしと同じように、香港独立派を受け入れてはいないものの、本土派の若者に票を投じたことを知った。
「香港独立」という主張に対して、「理解はするけど受け入れない」という人は少なくないはずだ。だが、結局のところ、未来は若者たちのためにあるのだし、古臭い民主派の顔も見飽きたから、新しい変化を求めて手にした一票を若い本土派に投票した。その結果、若い本土派が数人、勝利を手にした。
「本土派」と「香港独立派」は違う。だが、両者の関係は微妙で、その違いはわずか一歩の差といった程度。将来の政治的な動きが、両者が「合併」するかどうかを決めるはずだ。
中国中央政府が目下香港に講じている手段と政策、そして香港行政特別区政府の「香港独立派」に対する手法を見るならば、「香港独立派」の勢いを止めることはできず、ますます燃え盛るだけだ。
それは「フィナンシャル・タイムズ」が論じているように、「香港独立派」は「メイド・イン・チャイナ」の代物で、主に中国共産党の頑なな少数民族政策に由来しているからだ。中央政府の香港に対する態度は、新疆ウイグル自治区やチベット自治区に対するそれと同じく、信頼を裏切り、承諾を無視し「自治」とは表面だけ、コントロールこそがその本質になっている。人々の心を勝ち取ることなく手段ばかりを弄び、言行不一致で、さらには国務院の香港連絡弁公室が干渉する――特に選挙と高級政府官吏の任命に。それらはもう十分にほとんどの香港人の不満を引き起こし、軽蔑されている。だから、分離主義的な主張の台頭はひとえに中央政府のおかげによるものなのだ。
香港特別区政府に至ると、さらにバカバカしいにもほどがある――香港独立という「命題」はまやかしだからと、学校において「討論する空間はない」と言って[禁じて]しまった。それは、言論の自由に抵触する問題だ。香港独立という命題がまやかしだからこそ、自身の道理を語るべきなのだ。そして法理、歴史、文化、そして現実の政治…という様々な面で香港独立は不合理であり、不可能だと指摘すべきなのだ。「真理は論ずれば論ずるほど磨かれる」のだから。しかし、それをせずに逆に力任せにそれを押さえつけてしまったから、市民に言論の自由の権利も奪われてしまったという印象をもたらした。反発が起こらないわけがないだろ?
わずか2年の間に政治アジェンダは「行政長官選出の普通選挙実施」から「香港独立」に変わった。政治的なコンテクストがまるきり変わってしまい、今や本土派が有権者の支持を大きく受けて議会に進出した。中央政府あるいは香港特別区政府が真剣に反省せず、香港を治めるための政策を変えなければ、香港独立派の勢いはさらに抑えることができなくなる――というのも、市民のほとんどが香港独立を受け入れてはいなくても、彼らへの同情を失うことはないからだ。そして最終的には「賛成はしない。だが反対もしない」という態度を取るようになる。これこそ本土派が香港立法会選挙で勝利した原因なのだ。
「不贊成,也不反對」(2016年9月8日「信報」掲載劉健威コラム「此時此刻」より)