【読んでみましたアジア本】「同じ」と「違う」、そんなのあって当たり前じゃん?:温又柔『魯肉飯のさえずり』

子どもにとって、最初の社会との接触は幼稚園、そして小学校だ。幼稚園は最初に家族以外の人たちと一緒に過ごすチャンスで、小学校からはだんだん1日のほとんどを外で過ごすことになる。子ども同士の社会も形成されるが、精神的には完全に親離れしていないから、家庭のルールが自然に子どもたちの社会にももたらされる。

そうするうちに、だんだん「自分たちの言葉で話そうとしなくなった」という話をあちこちの親たちから聞いた。親が生まれ育ったのとは違う国で暮らす子、あるいは外の社会と家の中の言葉が違うことに気づいた子、そして親が二重三重の文化を背負っている子を持つ親たちが一応に言っていたのは、いつしか子どもたちがいわゆる「強者」側の言葉を使いたがるという話だった。

英語と日本語や中国語なら英語、日本語と中国語なら日本語、中国語と東南アジアの言葉なら中国語、といったふうに。この「弱者」「強者」という概念は大人の世界のことだろうに、それに子どもたちが絡め取られていくというのも面白い。

わたしが実際に聞いたケースは父親が生まれも育ちも日本人だがアメリカで専門職として働いていて、母親は日本文化に関心を持つ、生まれも育ちもアメリカ人。30代の彼はその家の三男として生まれ、双子の妹も含めた4人兄妹のうち、自分一人だけ日本語が話せない、と言った。

彼の理由ははっきりしていた、父親が嫌いだったからだ。いつも忙しくて家におらず、顔を合わせれば「勉強しろ」としか言わなかった父親、成績が悪いと機嫌が悪くなる父親は、彼にとっての暴君だった。だから、自分に流れる日本人の血が嫌だった、と。

英語しか話せない彼が、それほどスムーズに英語で自己表現ができるわけでもないわたしに関心を示したのは、やっぱり心のどこかで父親へのこだわりがあったからだった。その証拠に話しているうちに彼の話はすぐに父親の話になった。

その話を聞いて、彼の父親ってアメリカで立派なプロフェッショナルとして大成功したのに、根っからの日本人のお父さんじゃん、と思った。いや、勉強して頑張ったからこそ、アメリカ白人の世界でプロフェッショナルとしての専門職につけたのだ、という自負があり、だからこそ「勉強しろ」に力が入ったのかもしれなかった。

想像するに、彼のお父さんがアメリカに渡っただろう1970年代は日本人にとって「違うこと」だらけだったはずだ。文化人類学者を目指す女性と結婚したのも、そうした「違うこと」を理解できる人にそばにいてほしかったたのかもしれない(だが、その後二人は離婚したそうだが)。「違うこと」だらけの世界で歯を食いしばって頑張ったであろうお父さんの苦労、わたしにはわかるよ、大変だったはずだよ、と言ったら、彼は目を丸くした。

「そんなこと考えたこともなかった」

日本に留学した兄や日本に関する専門を大学で先行した妹と違い、彼はずっと日本語に触れる機会を「拒絶し続けてきた」と言っていた。だからといって、日本が嫌いなわけでもなさそうだった。だったら、わたしに近づいてきたりしなかっただろう。「中国ってさ、日本といろいろあるじゃん? それなのに、なんで中国で暮らしてんの?」

「違うから。香港から北京に引っ越す前にも、『上海には香港人も日本人もたくさん住んでて暮らしやすいのに、なぜ北京なの?』って言われたけど、それじゃ意味ないと思った。日本から香港に来て長年暮らして、新しいところに引っ越そうというのになんでわざわざ、別の、似たようなところを選ぶの? じゃあ引っ越す必要ないじゃん」

ふうむ、と彼はうなった。

違うからこそ面白いんだよ。アメリカで頑張ってプロフェッショナルの世界で認められるようになったキミのお父さんが、家ではしっかり日本のお父さんになっていた。よそのお父さんとは違っていたかもしれないけど、お父さんがたどってきた道を考えてみると、よく理解できるよ、なんでキミはそれを拒絶するのさ?

北京での滞在中、わたしは彼と、見知らぬ彼の父親についていろいろ話をした。1週間後北京を離れる彼は、「なんか父親に興味が湧いてきた。日本語もやってみるかな」と言ってオレゴン州に帰っていった。彼は、父親が本当に嫌でわざわざ生まれ育ったニューヨークを離れて、オレゴン州で働いていた。「冬はスキー三昧さ」とかいいながら。

その後どうなったのか、便りはない。

●思い出と今を紡ぐ「魯肉飯」

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