【読んでみましたアジア本】ねっとりとまとわりつく空気の中であえぐ女性たちを描く:賀淑芳・著/及川茜・訳『アミナ』(白水社)

「純真なアジアの人たち」

かつて、このような主旨の形容を使ったコメントを受け取ったことがある。そのコメント全体の文脈が、わたしの原稿に対する批判だったのか賛同だったのかはもう覚えていない。わたしの目はその表現に釘付けになった。

もし、それが観光PRのコピーならまだわたしもやり過ごせていた。だが、わたしの書く記事への感想として堂々とそういう表現を使ってくる人はいったい何を見てそう思っているのだろう、としばし考えた。

確かに日本では、とくに観光PRにおける「アジア」は自然が豊かで、温暖あるいは暖かく、水や海のイメージ、そして農作物などが豊かで……といったイメージが強調されてきた。確かにそこではあまり人間臭い話題はもちこまれなかったし、その「温かみ」を感じられるところというイメージが「純真無垢」ムードに結びつけられてきたことも無視できない。だが、PRはPRだ。それをまるっと受け入れてまるでわかったように語るのは危険すぎる。

それに加えて、「戦後」の日本では中国や韓国、台湾を含めたアジア各国に対して、戦時中の贖罪感を背景に、ことにアジア各所を美しく形容する時代が続いた。中国との国交回復も熱狂的に受け入れられたし(ただその一方で台湾とは国交を失ったわけだが)、日中の「蜜月」に酔いしれた人たちは多かった。

たぶん、あのコメントを残した人はそんな昭和の間にそれなりにお年を重ねた、つまり戦後昭和の教育をがっつりと受けた世代だったのではないかと想像する。

確かに、ねっとりとした南洋の空気や、フルーツが多産される地域だと思えば、オンナ子供向けの「優しい」お土地柄だと思いこんでしまうのかもしれない。あるいは、その多くが観光地として日本人観光客を、あるいは日本からの経済や技術支援を受け入れていることから、「優しい人たち」と思い込んだのか……その裏には、かつて暴力的に上陸した日本の記憶が混ざり合っているような……?

ともかく、どこの国の人たちであろうとも一方的に「純真な」などと決めつけること自体が上目線思考だし、相手に失礼だろ、と思った。

今回取り上げる『アミナ』を読み終え、脳裏で消化しているときにふと思い出したのが冒頭の言葉だった。


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