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【読んでみましたアジア本】SF本を開いたら、そこには「現実」が広がっていた/郝景芳(ハオ・ジンファン)『人之彼岸(ひとのひがん)』(ハヤカワ・SF・シリーズ)

2022年5月の最後にこれを書いている。上海はやっと明日6月1日から「通常化の生活」に向けて、9割のロックダウンが解除されるという。

中国が世界に誇る大都市上海でなんと2ヶ月間も続いた「完全ロックダウン」。わたしの知り合いが住む地域は3月初めからすでに団地封鎖が始まっていたので、すでに80日近く封鎖されたままだった。

それは日本の緊急事態宣言の比ではない。人々の外出を禁止すべく、団地に設けられた門が閉じられ、保衛が立ち、うっかりその瞬間に外出していた住民すら自宅に戻れないという事態も起きた。大都市上海ではさっさとスマホを使ったネットチャットグループが作られ、上からの通達に加え、住民同士の情報交換が始まったが、その輪に入れない老父にデリバリー配達員に頼み込んで越境する形で食品を届けてもらった女性が、ネット民の嫌がらせに神経を参らせて飛び降り自殺するという悲惨な事件も起きた。

経営している会社の運営が止まれば、今年の売上に大きく響くことを心配した企業主はさっさと家を抜け出して、工場や車に泊まり込んで操業を続けた。やっとのことで納期に合わせて完成させた製品は、しかし、上海内の物流が完全に遮断されていたために客先に予定通り送り届けることができなかった。平謝りに謝って納期の延期を申し出たところ、客先も理解してくれ延期を受け入れてくれた。というのも、客先もまたロックダウン中だったからだ…

もうこれだけで十分、わたしたちの想像を超えている。いったい、どうしたらこんなことができるのか。いや、その先にどんな「未来」が待ち受けているのか? …それは少なくとも、2500万人の上海市民の誰一人として想像していなかった世界だろう。

さらに皮肉なことに、そうしたむちゃくちゃな現実を批判気味に語った人たちのSNSアカウントが削除されてしまった。大富豪の息子や企業家に混じって、SF作家の郝景芳(ハオ・ジンファン)さんもそんな目にあった一人だ、と聞いて、もう笑うしかなかった。というのも、非現実な上海のロックダウン当初、多くの人たちが、「SFのアカデミー賞」と呼ばれるヒューゴー賞を受賞した彼女の著名作『折りたたみ北京』(https://amzn.to/3wXkwrR )みたいだ、と言っていたからだ。上海は折りたたまれた挙げ句、それを予言した作家の声まで消してしまったのである。

世界には政治体制に反対する人たちや違う立場をとる人をそうやって追い詰めて、声を出せないようにする国はよく聞くが、現実がここまでネジ曲がってしまった上でのこの措置は冗談か、SFの世界でしかお目にかかれないと思う。まさに「現実は小説より奇なり」である。

今回はそんな流れから再び、郝景芳の作品を読もうと思った。そして、捻じくれた中国のニュースを半日拾い、残りの半日をこのSFを読みながら過ごしたのである。

●SFが「現実」になった

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