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おかげさま

明治生まれの頑固ジジイであった祖父は「戦後の腐りきったこの国を建て直す」為に昭和45(1970)年、幸町団地造成と共に千葉白菊幼稚園を創立したと小さい頃から何度と聞かされた。

令和5年現在、ありがたいことに54回目の入園式を迎える。
つまり創立して53年が経過した。

自分は園長歴18年のまだまだ若輩者の三代目。幼少のころから祖父に「この国は素晴らしい国だ。もっと良い国にする為にお前も頑張りなさい。」と幾度となく言われ、「この国を良い国にする為に、先ずは幼児教育から叩き直さなければならない。だから俺は千葉白菊幼稚園を建学した。いずれはお前がやってくれ。」と園経営をするように言われ育った。

当時は上の空で祖父の話しを聞いていたが、やはり繰り返し耳元で囁かれれば、嫌でも記憶に残るものだ。


自分は祖父の長男の長男なので、自然と園経営をやることになっていた。いろんな夢を描き、幾度もの挑戦に敗れ、「跡取り」という立場だけで経営者に収まった・・・簡単に言えば。


平成17年3月、実質的経営者、つまり学校法人千葉白菊学園理事長に就任し、翌月には千葉白菊幼稚園の園長にも就任した。祖父を尊敬していたから?我が家の跡取りだったから?やること、やりたいことが特に無かったから?いろんな理由が重なってはいたが、遅かれ早かれ、自分がやらなければという自覚は潜在意識としては植え付けられていた様だ。


令和5年から理事長・園長職は19年目を迎える。経営も園長職も未経験の自分にとっては全てが初めての経験で、何をやっても上手くはいかなかった。

ただ自分の想いを信じて、ブレない様に必死に前に進んで来た。

良いこと、嬉しいことばかりではない、恥ずかしいこと、辛いことだらけの日々であったと思う。上手くいったなんて微塵も感じたことはない。悔しいこと、情けないことばかりだった。本当は良いことばかりだったと言いたいが、事実そんな絵空事の18年間ではなかった。

叩かれ強いとは思っていなかったが、逃げるわけにはいかない、辞めるわけにはいかない、どうしていいかわからない日々を過ごしてきた。

「何をやっても100%上手くいく保証なんて無い。だからこれと思ったことは先ずはやってみることだよ。」と師匠に助言され前に進んだ。顔は笑顔でも心中はビクビクで過ごしながら。


園児や教職員の成長を目の当たりにして、間違いではなかったのかな?と思えるようになり、保護者の方々から喜びの声を頂くにつれ、自信が確信に変わってきたと思う。

自己肯定感、自己重要感、自尊心が徐々に芽生えてきたのを実感した。

園に関わる人々が成長し、笑顔になることに純粋に喜びを感じることが出来た。与えられた仕事だが、この仕事がどんどん好きになってきた。

楽しくて仕方ないと思えるようになってきた。成長を感じることが出来た。迷っている暇はない、園児は園で3年間しか過ごさないのだ。

良いと思ったことはとにかくやってみよう、間違っていたらなるだけ早めに軌道修正して、また挑戦していこう、と思えるようになった。

質も大事だが、それ以上にスピードが大事だと確信した。

多くの保護者の方々から喜びの声を頂戴しあらためて解った・・・「人の喜びを我が喜びと感じる」・・・まさしくこの事だと。

叩かれて凹んでしまったことも、園児の著しい成長も、教職員の内面外面の成長も、言わずもがな保護者の皆様の喜びや感謝のお言葉も・・・


すべて、おかげさまです。

学校法人千葉白菊学園
千葉白菊幼稚園
理事長・園長 鳰川泰也(におかわやすなり)


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