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私がうつ病を発症した過程 【うつ病2人#1】

5年前の7月。
朝、仕事に行くために化粧をしようと鏡の前に座った瞬間、わんわん泣き始めてしまった。

自分でも自分が理解できない。
困りながらも母に電話をしたら、今日は仕事を休んで心療内科を探して行くように指示された。

新患は取っていないという病院に断られて心が折れそうになりながらもなんとか診てくれる所を見つけ、診察を受けた。

うつ病一歩手前、情緒不安定と診断された。
おそらく原因は仕事のストレス。
慣れない土地、長距離通勤、初めての仕事。新人なのに1人で回さなければならない業務が多くて疲弊していた。

そこから、病気と折り合いをつけながらの社会人生活が始まった。
調子がいい時もあったが、急に休んだり、職場で涙が止まらなくなって休ませてもらうこともあった。
自分でも自分のことがよくわからなかった。
だから、周りの先輩たちにただただ申し訳なかった。


初めて病気休暇を取ったのがいつだったか、もう覚えていない。このときに「うつ病」という診断名がついたのは覚えている。

休むことで確かに気持ちと体調は落ち着いた。
しかし、職場に戻った私を待っていたのは、休んでいたときに溜まった仕事だった。
私しかできない仕事だから、溜まるのはわかっている。でも、つらかった。
少し治った状態でまた忙しい日々に身を投じていた。


だんだんひどくなっている自覚はあった。
立っていられず、トイレで床に座り込んでいたり、階段を降りるのもふらふらして手すりなしではできなくなっていた。

何度も短い病気休暇を取った。
その度に仕事は溜まった。
最後に病気休暇を取り、明日から復帰だという日、全く休んだ気がしなかったことは今でも強く覚えている。

私は社会人3年目の9月を迎えていた。


もう限界だった。だから、区切りのつくこの年度末、あと半年で仕事を辞めようと決意していた。
職場の信頼できる先輩に、「あと半年だけ頑張ります」とそっと伝えた1週間後…。

私は泣きながら叔母に電話をかけていた。
叔母は長年カウンセラーをしている。
仕事がつらくてつらくて、自分を傷つけそうになっている、と泣きながら話した時だった。

「まちこ、もう仕事辞めよう。私がお母さん(叔母にとっての姉)にも伝えて手筈は整えるから。自分の体を傷つけてまで仕事しなくていいから。」

滅多に聞かない強い口調でそう言われた。
辞めたくない、という気持ちよりも、やっと止めてくれる人がいたという気持ちが少しだけ勝った。

電話を切ってわんわん泣いている間に叔母から母へ連絡が行き、翌日母が職場に連絡をして、その週末には両親が私を実家へ連れて帰った。

こうして、新卒から2年半働いた仕事は、あっけなく終わった。


それから約2年半。
私は大学生の頃からお付き合いしていた人と結婚し、うつ病の治療は続けながらも2人で幸せに生きている。

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