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昔の恋のエピソード⑥【距離】

打ち上げられる花火の色や音が
駐車場の近くの建物を照らし
その賑わいを伝えてくれる。
道路には家族連れや恋人が
楽しそうに会場に向かって
歩いていく姿が見える。
まいはどんな格好で
来てくれるかな?
来て欲しいな。
そんな気持ちもあって
夏の暑さも最初はこれといって
感じなかった。
しかし時間が過ぎるほどその暑さ
も辛く感じ始めていた。
たまらず車に乗りこみ
キーを回して車のエンジンを
かけた。
エアコンをつけてウインドウを
閉めた時、
僕は完全に孤立した気がした。
音は遮られ、花火の光だけが
建物から反射して見える。
そして…
花火の明かりも見えなくなり
花火大会を見終えた人たちが
会場から戻ってきていた。
まいは来なかった。
花火が終わったあともしばらく待って
いたが来てくれなかった。
僕は車のギヤを1速に入れて
ゆっくり駐車場から出た。
信号付きの交差点で赤信号で
停車した時、
目の前の交差点を歩くまいがいた。
隣には男がいた。
知らない人だ。
目の前の信号が滲んで見えた。
とめどなく涙が溢れ出た。
どうしてそこにいるの?
どうして今隣にいないの?
待ち続けた時間は何だったのか。
手紙を書いた僕はただの馬鹿だったのか。
すでに他の男がいるのにひとりで
舞い上がって駐車場で待ってて…
恥ずかしさでいっぱいだった。
ついこの間まですぐ傍にいたまい、
今はこんなにも遠くに離れて
しまっている。
心の距離を感じた瞬間だった。
信号が赤から青へと変わった。
僕は車の持てるパワーを全開にして
交差点を走り抜けていった。

季節は冬になり、
僕は会社の社長に辞表を提出した。
もうこれ以上この会社で働くことが
耐えられなくなっていた。
定時制高校を卒業し、
小さな縫製会社で働いてた僕に
次の就職先が見つかるのか不安で
なかなか決心できなかったが、
まずはここから離れたいと思った。
そうしなくては前に進めないと
感じたから。
午前中、父親が迎えに来る前に
僕は忠節橋に向かった。
ここで、僕はまいに告白された。
あの普段あまり感情を出さない
まいがあの日は僕に感情を
見せてくれた。
どれほどの勇気を振り絞ったのだろう。
きっと不安だったと思う。
前髪に着いた雪を払った時のまいの
涙と飛びっきりの笑顔を思い出した。
そしてポケットから指輪を取り出した。
まいが外していることに気付いた
あの日からはめなくなった指輪。
その指輪を両手で強く握りしめたあと
僕はその指輪を川に向かって
全力で投げた。

父親が迎えに来た。
寮の荷物を積み込みいよいよ
まいから遠く離れる時が来た。
裁断場の玄関で靴を履き
表に出た時、
会社側の玄関に人影が見えた。
その影は僕に気づいたのか
建物の柱の影に身を隠した。
…まい?
いや、もう考えちゃだめだ。
もう僕はここを去るのだから。
そして父親の車に乗り込む前に、
「ありがとう!!」
そう玄関に向かって言い放ち、
4年半勤めた会社を後にした。

おわり

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