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フェミニズムと私らしさ

こんにちは!きこです🌻
最近はめっきり暑くなってきましたね💦☀️

ところでこの頃、フェミニズムと出会わなかったら自分は全く違う人間になっていただろうなあ、と思うことがあります。
それは、自分なりに勉強してきて、フェミニズムのおかげで少しだけ自分らしく生きられるようになったと感じるからです。
というわけで、今回はどんな学びがあったのかについて、私の約20年間の短い人生を振り返りながら書いていこうと思います。

幼少期

私は子どもの頃から「女の子なんだから」と言われて育ってきたのですが、「性別で何が変わるんだろう」と当時から不思議に思っていました。
でも、テレビを見ても、おもちゃ屋さんに行っても、「らしさ」の考え方は肯定されるばかり。
たとえばおもちゃ屋さんでは、男の子向けの売り場に行くと、黒・青・乗り物・戦隊ヒーロー、女の子向けの売り場には、赤・ピンク・人形・ままごとセットが並んでいました。
(長年おもちゃ屋さんは行っていませんが、今はどうなっているんでしょうか…)

私は、男の子の遊びにも、女の子の遊びにも興味がなく、興味があったのはお絵描きくらいでした。そんな、女の子らしくも男の子らしくもない子供だったのに、何かにつけて周りから「女の子/男の子らしいねー」と言われ続けると、こうあるべきなのか、と信じ込んでしまうものですね。
気づけば私も、「こうあるべき」の考え方に囚われていました。
赤色が好きな父親に、「男なのに赤が好きなんて変〜」なんて言ってしまっていたくらいです…。今考えると悲しくなります🥲

自分に期待される「女の子らしさ」には疑問を感じながら、いつしかステレオタイプを発信する側になってしまっていたんです。
怖いですね、、。

小学校ー中学校時代

小学校に入学すると、みんなで同じ制服を着て、30人クラスでの集団行動。あっという間に「社会」ができあがり、人の目を気にするようになりました。

同時に、今までのように、やることなすこと全てを「○○らしい」と分類されることが嫌になってきました。
他の人から「あなたはこういう人だね」と勝手に納得されて理解されるのが、嫌いだったんです。

ピンク色。花柄。手芸。スカート。おしゃれ。泣くこと。
これらを身に付けたり行動に移したりすると、女の子らしいと言われます。
そのため、好きだったものでも「女の子らしい」とされているものは嫌いなフリをするようになりました。

興味があった手芸クラブは諦めて、無難な読書クラブに。
テストの点が悪くて悲しくなったときは、トイレで1人で泣きました。

代わりに、青色が好きで、手芸は苦手で、学校外ではズボンを履いて走り回り、転んでも泣かない「男の子のような」自分を作りあげました。
(今考えると、いったい男の子っぽいって何なんだ?と思いますが、当時は「これが男の子だ!」と思っていたんですよね…)

私は、「女の子っぽいね!」と言われたくなかったんです。
それなら、男の子っぽく振る舞って自分で印象を操作した方が良い。
そう思った私は、作り上げた自分を軸にして、行動をするようになっていたんです。

でも、意識して男の子らしく振舞おうとしているつもりもありませんでした。
あらゆる人から「○○らしい」とレッテルを張られることへの抵抗として、自然に出てきた反応でした。
でも、「女らしさ/女子力」に対する反動で、知らず知らずのうちに「男らしさ」を内面化してしまっていたんだと思います。

小学校高学年~中学生の年齢になると、周りは恋愛をし始めます。
そうすると、周りはより「女子力」を意識するようになって、私の反発には拍車がかかりました。

そんなニセの自分をずっと続けていると、中学卒業の頃には本当の自分がわからなくなっていました。

高校時代

高校に入学して、最初のプレゼンテーションでフェミニズムについて話しました。
自分で題は決めたのですが、フェミニズムに決めたのはたいそうな理由があったわけではなく、好きな女優さんがフェミニズムについての活動をしていたからでした。
そのプレゼンのために勉強を始めたのが、本格的にフェミニズムを勉強し出したきっかけです。

勉強をしていく中で、「らしさって何?」と思うようになり…。
「女の子らしさ」なんてやっぱり守らなくていいんだ!と自分の信条に自信がつきました。
同時に、「有害な男らしさ」という考え方にも出会い、自分と当てはまるところが多いのに驚きました。

自分って「男らしい」のか?
でも、意識して男らしく振る舞っているわけじゃないし…。
私の性格が「男らしい」とされる特徴と似通っているだけ?

と、混乱し始めました。

大学入学後

大学では、制服などの制約がない分、今までより自由に自分らしい表現ができます。
その影響か、「自分って赤色が好きだな」「花柄のワンピース可愛い」「編み物って楽しい」など、今まで押し殺してきた自分の好みが、だんだん分かるようになってきました。

こんな女性らしい(と言われている)好みを発見して、最初は戸惑いました。
本当に自分がこんな女性らしいことをしても大丈夫なの…?という漠然とした不安があったんです。
また何かレッテルを貼られるんじゃないか、という不安だったんだと思います。

また、フェミニストとしての自覚も揺らぎました。
フェミニストたるもの、男性と戦えるくらいタフでいなければいけないため、女性らしさとされる特徴(弱さ)とフェミニズムは共存できないと思っていたんです。
(今考えると、社会から勝手に「女性らしい」と見なされているだけの特徴を、ひとまとめに弱さと結びつけてしまうなんて、本当はフェミニストと全く反対の考え方をしているわけですが…😓)

一方、大学では社会学を通して、社会の中でいかにステレオタイプが作り上げられていくかを専門的に学びました。
知識がついてくるのと同時に、今まで感じていた「女性らしく」することへの不安の正体や、「男らしさ」という形で現れた抵抗を、少しずつ理解できるようになってきました。

現在

今も、ふとした瞬間に「らしさ」の罠に引っ掛かりそうになることがあります。
挑戦したくても、いまだにスカートをはくことに抵抗を感じる自分もいます。感情を出すことも苦手です。
未だに、自分はどうなりたいのか分からないときも多いです。

でも今は、少なくともその思い込みに自分で気づくことができます。
それだけでも大きな進歩だと思っています。

求められ続ける「○○らしさ」

ここまで、自分らしさを取り戻すために私が歩んできた道のりを書いてきました。
今の私の周りには、このような自分らしさを出しても「〇〇らしいね」と型にはめて言ってくるような人はいません。
こんな環境のおかげで、少しくらい好きなように振る舞っても大丈夫かな、と思えたんだと思います。

でも、社会は今でも、何かにつけて「らしさ」を求める傾向がありますよね。
年齢、性別、職業、国籍をわきまえた行動をしろ、と。
そして、その期待に添えない人は、ダメな人間だとレッテルを貼られることもしばしば。

たとえば、
フェミニスト女性=男勝りな女性、フェミニスト男性=女々しい男性
などというレッテルが貼られることも多いのではないでしょうか。
こういったステレオタイプは、人をフェミニズムから遠ざける一つの原因ではないかとも思います。

フェミニズムと自分さがし

何でもかんでも型にはめようとする風潮は、物事のありのままの姿を見ることを難しくします。
でも、これだけ日常的に社会から「こうあるべき」というメッセージを受け取っていると、それを無視する方が難しいと思います。
むしろ、属性に正解の姿なんてないことはわかっていても、正解を探してしまうんですよね。
(その結果私もまんまとハマって、「フェミニストたるもの…」なんて思考になってしまいました…💧)

フェミニズムはそういったカテゴリーなしに、人を人間として見ることを可能にしてくれる考え方であると思います。

私は、フェミニズムのおかげで自分を偽ることから抜け出せました。
また、一時はフェミニストとして持ってはいけないと思っていた「女性らしい」とされる特徴を大切にしながら、人を型にはめようとする力と戦うことが可能だと思えたのも、フェミニズムのおかげです。

私は、これからもフェミニズムと一緒に自分を探し続けていく所存です🫡
まだまだ自分らしく生きるというのは難しいものですが…。
でも、自分が自分らしくあることを認められたら、他の人が自分らしくあることも受け入れられるようになると思うので。頑張ります💪

以上、今回は今までの人生を振り返りながら、自分らしく生きることについて考えてみました!
自分の考えを整理しながら書いたので、ゴチャゴチャしてしまいごめんなさい😅🥲

ここまで読んでくれた方、ありがとうございます!!
次回も楽しみにしていてください🌟

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