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推し と 「恋愛」

皆さんに“推し”はいますか?

“推し”という言葉自体は、私が小学生くらいのとき、年に一度のAKB48総選挙が夕方の地上波で生放送されていた時代(いま考えればすごいですね!)に、よく使われていた言葉な気がします。

いまや応援しているアイドルだけでなく、大好きなお笑い芸人や、学校の先生など、好きなものにならなんでも“推し”という言葉を用います。

私は個人的に「アイドル」という分野に関して、小学生のときから男女国籍年齢問わずたくさん応援してきました。

推しに会えるどんなイベントやライブにも参加しようと、たくさんのお金と時間を費やし熱狂的に応援していたときもあれば、円盤やテレビ番組をチェックするのみの比較的穏やかな応援をしていたときもあります。

そして先日、私がアイドルを応援するきっかけになった“推し”の、熱愛が発覚しましたのです。


・ 彼らに求められるアイドル像

アイドルといえば一般的に、歌やダンスを精一杯頑張り、応援してくれるファンに常に笑顔で感謝を伝える、そんな神聖な存在であることが求められます。

そしてその多くは、恋愛ご法度というルールに縛られます。

熱愛が発覚したアイドルには、運営側から何かしらのペナルティが課せられ、ファンからの誹謗中傷を受け、活動自粛や脱退、芸能界引退という選択をする人がいます。
(もちろん、熱愛報道に対して否定も肯定もせず、活動を続けるアイドルもいます。)


「男性アイドルに対して、女性アイドルはクマリだ」という意見もあります。

クマリとは、ネパールに住む生きた女神で、サンスクリット語で「少女」「処女」を意味します。現在では、国内から選ばれた満月生まれの仏教徒の少女が、初潮を迎えるまでクマリとして役割を果たします。
そしてこの役割は、彼女が初潮を迎えるまで続けられ、退任後は普通の少女としての人生を送ります。

女性アイドルはアイドルである期間だけファンや世間から持て囃され、熱愛発覚や結婚発表をした途端に、アイドルではなく「普通の女性」として扱われ、人気が下がり、アイドルをやめる。

女性アイドル=クマリ という意見はやや過言かもしれませんが、女性アイドルがそのような「アイドル像」を求められていることは事実と言えるかもしれません。


応援しているアイドルが自分に対して同性か異性という視点からも、アイドルと恋愛の価値観には相違がありそうです。

この投票結果から、推しが同性であれば彼らがどう恋愛しようと応援できるのに対し、推しが異性であれば「恋愛していることは隠してほしい・絶対許せない」と感じる人が全体の15%を占めていることがわかります。


・ 推しが恋愛をしていて、私が素直に感じたこと

私は先日熱愛が発覚した最古推しに対して、
「へえ、幸せになりや」と、素直に思いました。

もちろん、彼を応援する私の熱量の変化が関係していると思います。

もしこれが彼を熱狂的に応援していた小・中学生のときだったら、彼を応援することをやめていたかもしれないし、今よりは発達していなかったSNSで批判していたかもしれません。

しかし、今は「アイドルも多様な可能性と選択肢を持つ」時代であると言われています。
子育てをしながら活動を続けるアイドルや、メンバー全員既婚者の「Negicco」というアイドルグループも活躍しています。

アイドルが多様な人生の可能性を持てるように、私たちが求めていたアイドル像も変化していかなければならないと思うのです。

私は、アイドルが熱愛発覚に対してファンに謝罪する場面を見たとき、いつも心がいたく締め付けられます。結婚発表のときは誰も謝罪なんてしないように、「パートナーと共に、これまで以上に活動に励みます!!!!!」でいいのにな。

推しがいたから、たくさんの幸せがあって、どんな辛いことも乗り越えられてきた人生だったのだから、そのひとりの人の人生を微力ながら祝福したいと、いまは思うのです。


そして最後に、私の最古推しへ。
どうか、幸せになってね!

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