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#女子力について考える

こんにちは🌸

今回の話題は「女子力」についてです。みなさんどこかで一度は耳にしたことがある言葉、女子力。その定義は人によって違うかもしれませんが、通説には

「女子力」=「料理が好きor上手・掃除が好きor上手・可愛い服を着ていてメイクが上手で愛想がよい」

だと考えられています。料理が得意で可愛らしいいわゆる「女の子らしい」格好をしている人は「女子力が高い!」と褒められます。

しかし「女子力が高い」は本当に褒め言葉なのでしょうか? 私自身、学生時代お菓子づくりが大好きな友達に向かって「女子力が高くていいなあ!」と掃除も料理も得意ではなかった自分のことを「女子力が低い」と言っていました。

「女子力が高い」を褒め言葉として使い「女子力が低い」自分をダメだなあ…と思っていた私は、留学先で出会った友達の一言で「女子力」という言葉そのものに疑問を抱くようになります。

私は、オーストラリアへ留学中、韓国人の女の子と仲良くなりました。日本語も学んでいた彼女と日本語を交えながら話していた時、私には女子力がないからさ〜と何気なく口に出しました。すると彼女は「女子力という言葉はもう前時代的だよ。韓国では、若い子が女子力と使うだけで古い価値観の人間だと思われるよ。」と教えてくれました。その時に初めて私は「女子力」という言葉の裏にあるジェンダーバイアスに気づきました。

「女子力」という言葉の裏には、「女はこうあるべき、こう生きるべき」という古い価値観から形成されたジェンダーバイアスが隠されています。家父長制社会において女性が家庭を守り家事をこなす、男性が外で働くという価値観がそのまま「女子力」という言葉に反映されてしまっているのです。

そのような価値観が反映された「女子力」という言葉、果たして気軽に使ってよいものなのでしょうか?私たちが社会で「女子力」という言葉を使うたびに、性別にとらわれた生き方を知らないうちに誰かにそして自分自身に課してしまっているのではないでしょうか? 

メディアにおける「女子力」

メディアにおいて「女子力」という言葉が気軽に使われていることもジェンダーバイアスや差別の再生産に繋がってしまうのではないかと私は考えています。

料理が苦手な女性タレントを「女子力が低い」といじり、逆に料理や掃除が得意、またはメイクをすることが好きな男性タレントを「女子力が高い」といじることはその人自身の本質を見ず、性別を通してその人たちをジャッジしているだけに過ぎないのです。

メディアが社会に与える影響はとても大きく、少なからず人々の価値観の形成に関わってきます。そのメディアの中で、ジェンダーバイアスや差別が再生産されてしまわないように私たち自身がアンテナをはりつづけることも重要なのだと感じます。

まとめ

先述した通り、私も今までは「女子力」という言葉を簡単に使ってしまっていました。でもその言葉の裏に隠されているジェンダーバイアスについて考えることで、今では「女子力」という言葉を使う事で、差別や偏見の再生産に加担してしまうのではないかと感じています。

私自身まだまだ勉強中の身ですが、日々学び続けることで自分の価値観をアップデートしていけたらなと思っています🌸

私は、その人自身の性質や良いところを「女子力が高い・低い」という言葉で簡単に形容してしまうのではなく、その人自身を見てその人自身の「らしさ」を大切にしていきたいです。そしていつかは誰もがジェンダーバイアスやジェンダーロールに縛られることなく、自分らしく生きられる社会にしていけたらな、と考えています🌱

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