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認めないことを認めるのも多様性?

みなさんこんにちは〜WannaBeMEのみずきです!

気づけばもう2月も終わろうとしていますね。私は春が大大大好きです🌸新しいスタートを切る感じがいいですよね〜!チャレンジ欲が大爆発する季節です❤️‍🔥

さて。振り返れば私は、WannaBeMEに限らずいろいろな活動・経験をさせていただきました😌とにかくなんでもかんでもやりたい精神で過ごしてきたこの1年…。特にジェンダーに関する活動は私の中で非常に熱い経験でした。性の多様性の理解をもっと広めたい!!そんな想いで活動することが増えていったなか、いつもぶつかる大きな壁がありました。

それは、

「多様性を認めないことを認めるのも多様性じゃないの?」

という考え方。

これを聞くと、うんうん、たしかに、多様性って多様な考えを認めるってことだから、多様性を認めないっていう考えも多様な考えの一つであって、それを認めないことは多様性を認めないことになっちゃうか、、、、
あぁぁっっ!!よくわかんない!一旦考えるのやめよう!🥵

、、ってなっちゃうんです。

この壁、非常に乗り越えるのが大変です。だって多様性を認めてほしいのに、それを認めてもらえないことを認めるなんて矛盾してる気がするし、けど認めてもらえないことを認めないとそれもまた矛盾してる気がする、、、、、、、、🤯🤯🤯

ごちゃごちゃ書いてすみません💦
とにかく、この壁にぶつかるとこんなふうにいつも頭がもやもやごちゃごちゃしちゃうんです。

なので!今日はこのごちゃごちゃをできる限りすっきりさせていきたいなと思います✨

前置きがかなり長くなってしまいましたが、これから書くものはあくまで私個人の意見なので、「ふぅーん、こういう考え方もあるのね」みたいに気楽に読んでいただけたら嬉しいです😌💞

そもそも「多様性を認める」って?


「多様性を認めましょう」って簡単に言っていたけど、一体なにをすれば多様性を認めることになるんでしょう?

全人類の考えや行動を肯定すること?
いや、そんなことしたら犯罪をも正当化することになるからそうじゃないか。

じゃあ、「多様性を認める」の対義語ってなんだろう?
「自分とは違うものを否定する」「全てが一様であると主張する」とかでしょうか。

こんなかたく考えててもそう簡単に答えは見つからないですね。もっと頭をやわらかくしてみましょう💆

自分も『多様』の一部でしかない


一度セクシュアリティの多様性について考えてみます。

私自身、セクシュアリティに関して自分はマイノリティの中でもマイノリティな人間だと思って生きてきました。

けど、この1年いろんな人と出会って、私と似た人って結構いるなあって気づいたんです。

ただ目立っていないだけ、オープンに出会っていないだけなんだなあ、と。

多様であるって、意識していても気づかないものなんですね。世の中ほんとに多様な人、多様なセクシュアリティであふれてる🌈✨

ただ、ここではっきりと伝えておきたいことがあります。

それは、
その『多様』なセクシュアリティの中にはマジョリティと呼ばれる異性愛者なども含まれる
ということです。

セクシュアリティの多様性って聞くとつい、ゲイとかレズビアンとかマイノリティと呼ばれるものばかりを想像されがちですが、異性愛者なども含め『多様』なセクシュアリティなんです。

マジョリティだってマイノリティだって、そんなの割合の話をしてるだけで、どれも結局『多様』の中の一部でしかないんです。

何が言いたいかというと、

「多様性を認める」っていうのは「マイノリティを認める」ってことじゃない

「自分も『多様』の中の一部であることに気づく」ってことなんだよ


ということです。

みんなちがってどうでもいい


セクシュアリティに限らず、みんなそれぞれ違うものを持っています。出身とか得意科目とか好きな色とか🎨

まあ、だれが何色を好きだろうが正直どうでもいいっちゃどうでもいい話です。

自分の好きな色を嫌いだと言われようが、自分はこの色が好きであの人は嫌い。ただそれだけです。

もちろん何色を好きになってもいいし、好きな色が変わってもいい。好きな色がなくたっていいし、好きな色がありすぎて選べなくたっていい。

けどそれは、「だれが何色を好きになっても困らない社会」だからだと思うんです。

この世で好きになっちゃいけない色なんてないし、絵を描く時に使っちゃいけない色なんてないですよね。

セクシュアリティは、色と違って人間関係と深く関わっているし、セクシュアリティと色を同じように扱うのはもしかしたらナンセンスかもしれません。

けど、セクシュアリティも同じように、「だれがどんな性を自認しても、だれがだれを好きになっても困らない社会」になったらいいなって思います。

だれがどんな性表現をしていたって、だれを好きになっていたって、だれも気にしない。どんな性でも自分らしくいられるし、だれを好きになっても好きな人と結婚できる。

だれもが同様の権利をもつことができる社会、それは多様性が認められた社会そのものなのかなと思います。

好きな色もセクシュアリティも、多様で当たり前


好きな色は多様であることが当たり前に認められているけど、セクシュアリティの多様性は未だ理解が不十分であり、マイノリティと呼ばれるセクシュアリティはやはり特別視されてしまいます。

もう一度言いますが、「多様性を認めてほしい」って「マイノリティを認めてほしい」ってことじゃないです。

好きな色のように、だれもが多様に違っていて当たり前。自分もその多様の一部であり、隣にいる人と自分は違うかもしれないということに気づいてほしい。

だれもが『多様』の一部であるということ。
たとえあなたがそれを認めないとしても、それでもあなたは『多様』の中の一人であるということ。


この考え方こそが、「多様性を認めないことを認める」ということなのかなと思います。

「ただ存在する」、それだけなら認められそう


ここまで「多様性を認める」ということについて考えてきて気づいたことがあります。私は今まで「認める」ということをかなり重く捉えすぎていたのかもしれません。

多様性を認めないひとに対して「あ、そういうひともいるよね、うんうん、私とは違うけど、」って受け止められたら、それでもう「多様性を認めないことを認める」ことができているんじゃないかな。

しかしながら、それは、多様性を認めない人が「ただ存在する」ときに限りできることです。

もしも、多様性を認めない人がただ存在するだけじゃなく、心ない誹謗中傷、差別をしていたとしたら…。「あ、そういうひともいるよね」ではもちろん済まされません。

私は、多様性を認めない人の存在は認めても、人のアイデンティティを否定し傷つけることは認めたくありません。

多様性を認めないことと人を傷つけることは全く違いますから。

多様性が認められた社会とは


改めて、多様性を認めるということは、「みんなちがってどうでもいい」と思えることなのかなと思います。

けど、それだけではただの無関心で、『多様性が認められただけの最低限に平穏な社会』にしかなりません。

私は、できればあと一歩、互いに歩み寄ることができたらいいなと思います。

お互いにどうでもいいと思わないで寄り添い合える社会です。

私は、そんなあたたかい社会に少しでも近づけるようにこれからも多様性の理解を広めていきたいと思います🍀

さいごに(私の本音を少しだけ…)


実はこのnote、前からちょっとずつ書いていてずっと投稿するか迷っていました。私の中で整理されたとはいえ、まだまだもやもやする要素はたくさん残っているし、私のこの考え方が少なからず誰かを傷つけてしまう可能性もあるからです。

「みんなちがってどうでもいい」と思えば多様性を認められる!!とか言っておきながらも、やっぱり自分の大切な人に「どうでもいい」って思われるのはいやだなあ、とか思う。

言葉ではなんとでも言えるけど、実際私は多様な考えを受け止めきれないかもしれない。

まあでも、そんなのやってみないとわかんないし。自分の中で閉じ込めておいても、それこそいつまでたっても自分なりの考えにしかならないし。怖いけど、noteとして形にしていろんな人に読んでもらおう!と思って投稿しました。(こんな自己満noteでごめんなさい🙏)

最後まで読んでくださって誠にありがとうございます!私の中でもようやく少し整理できたかな…という感じなのでまだまだツッコミどころ満載な考え方だし、きっと今後も変わっていくと思います。

ただ一つ。多様性をもっと広めたい!この想いは変わらず、また春からも全力疾走で活動していきます!!!🏃‍♂️❤️‍🔥

さいごに、今回のテーマである『多様性』について、それこそ多様な考えがあると思います。「私はこう思うかな〜」「これってどういう意味?」みたいに気軽にコメントしていただけたら嬉しいです!☺️💞


みずき

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