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お葬式フリースタイル
父の葬儀を経験した身として思うことがあります。
世間で当たり前とされている葬儀の形式に対して
一席を設けたい。否、一石を投じたい。
(これ、KANさんのボケのパクリです)
その前に、私の父が生前に書き記した家族への申し送りを引用させてください。
「告別式は家族のみが希望。
いまや葬儀告別式については次々に伝統が失われ、葬儀場の流れに乗るだけの形骸化したものになっている。お寺さんも重要な部品の一つになり下がり、沈んだ口調の進行係の声の中、全員が無表情で式が時間通りに進行し、出棺前の流暢で澱みない係員の挨拶で車列があっという間に去り、後には『やれやれ終わった』の顔が残る。これって一種の喜劇ではないか」
以上、父の文章そのままを書き写しました。
父、noteデビュー。
それにしても
あの人いろんな告別式に参列した時、
こんなこと考えていたのかと苦笑いです。
とはいえ、私もまったく同じ意見。
派手が良くないとか、
節約すればするほどいいとか、
そういうことを言いたいわけじゃないのです。
ざっくり言うならば手作り感が足りないなぁ、です。
母から聞いた話ですが、
葬儀の花輪などは何回か使い回すのが当たり前とか。
まぁ、そうよねと思います。
むしろそうするべきだとも。
だって一回きりで捨てられるんじゃ、お花たちが気の毒です。お花も生きてるんだし、活躍できる場は多いほうがいいに決まっています。
「皆さんでこのお花をシェアしますからね」と堂々と明らかにして、安心かつ納得できる価格設定にすれば皆んなが嬉しいですね。使い回しじゃないかのような空気が良くない。
あと、お花を参列者が一輪ずつ持ち寄って故人に手向けるというのもどうですか?
いいと思うんですが。
少ないと寂しいでしょうか?
でも最後のお別れの時、
お花が多すぎて最終的に故人がお花に埋没しているのを何度か見たことがあります。
お花モリモリで額から顎先までがかろうじて覗いている状態です。
実は父の時、
「いや、花多すぎやろ」と心の中でツッコミを入れてしまいました。溢れかえるほどの数じゃなくてもいいような‥。家族葬を、と丁寧な申し送りまで用意したのに見事に裏切られてましたね〜笑
ちなみに私の理想のお葬式は、
皆んな平服で、
集まって談笑しながら見送ってほしい。
立派な花輪はもちろんいりません。
なんなら、身内が折り紙で作ってくれる輪っかで可愛く賑やかに飾られてたりしたら嬉しいな。
私が好きだった音楽をお経の代わりに流してほしい。もちろんお坊さんも必要ないし、高級な車もいらないなぁ。
藤井風さんの「花」という楽曲のミュージック・ビデオが大好きです。
とてもカラフルでしなやかで。
それでいて凛として。
死ってこんな風に受け止めればいいんだよなぁ〜と穏やかな気持ちになり安心できるのです。
今やお葬式は、送られる人よりも送る人の都合でカスタマイズされています。
自分のお葬式について、自分が元気なあいだに提案しておくのっていいかもしれませんね。
生まれたからには必ず訪れる死。
誰一人として例外なく。
漏れなく誰もがやがて死ぬ。
生まれた瞬間から余命を生きている私たち。
終わりがあってよかった。
旅立ちが待っていてくれてよかった。
死は恐れるものではなく、
「やぁ、ついに来たね」と受け容れ肩を組む相手。
そんな終わりを迎えられたら最高に満足ですね、
あなたも私も。
その人の生きてきた人生を讃え、
その門出に敬意を表する。
それが本来のお葬式なんじゃないでしょうか。
お花の写真は、しまさんからお借りしました。
ありがとうございます。
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