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軍艦島

一昨年、軍艦島へ行きました。
インパクトのある呼び名ですっかり有名なこの島。
正式名称は端島。
三菱重工業長崎造船所で建造中だった日本海軍の戦艦に似ていたことから軍艦島と呼ばれるようになったとか。

そんな軍艦島の紹介をはじめに。

長崎港から18.5キロの位置にあり、明治から昭和にかけて海底炭鉱として栄えました。
炭鉱労働者が家族と共に移り住み、最盛期の1960年には5,000人以上もの人々が島内で暮らしていたそうです。炭鉱労働者は、その需要の高さと危険度から高所得。家族のための幼稚園や学校に最先端の手術も可能な病院、さらには映画館や遊技場といった娯楽施設まで完備され、とても文化的に暮らしていたそうです。その後エネルギーの主役が石炭から石油へと変わり、炭鉱は閉山に。
1974年に住民が一斉退去し、端島は無人島となりました。そのまま放置され建物が廃墟化。
2015年に世界文化遺産に登録されてからは、皆さんのよく知るところだと思います。

眼福すぎたツーショット

長崎行きのきっかけは、長崎ブリックホールで行われた大好きな高橋優さんと斉藤和義さんおふたりだけのイベントでした。
「私が行かないで誰が行く」と思い、何の迷いもなく長崎行きを決めました。
一泊二日の短い旅。
なんとか長崎を満喫しまくりたいと考えた私は、
ライブ翌日の早朝から軍艦島クルーズを予約することにしました。

見えてきた時の感動!

港から船に乗り軍艦島へ向かうのですが、
周りは家族連れやカップル、修学旅行生だらけ。
一人で参加していたのは私だけだったように思います。暦は10月に変わっていましたがまだまだ残暑厳しく、その週末も日傘が欲しくなるほどの強い日差しが朝から降り注いでいました。
念願の軍艦島へ上陸したものの、傘の使用は禁止。
ガイドのおじさんのお話のあいだも太陽はますます照りつけ、目を開けているのも辛くなるほどでした。隣にいたカップルが会話もなく下を向いて、ただただ必死で暑さに耐えていた姿が思い出されます。

軍艦島では島内を自由に散策できません。
必ずクルーズ船ごとの団体行動、しかも立ち止まって見学するポイントも細かく決められていて「はい、では次いきまーす」と即座に移動を促されます。
島に滞在できるのは約30分。
まぁ、あの暑さではそれ以上いられなかったかもしれませんが。笑

あれよあれよという間に見学を終え、船に乗り込み離岸。するともう既に次のクルーズ船がやってきていました。
島内の見学中、私がいたグループの他にも別の団体さんたちがいました。常に2つか3つほどの団体客が島にいる感じでしょうか。
「儲かってるなぁ‥」思わずひとりごちる関西人の私。失礼しました。

離岸したのち島の周りをぐるり一周してから帰港するのですが、この時がハイライトだった気がします。スカイツリーも上に行くより下から見上げているほうが圧倒されるし、新幹線も乗ってしまうより外から眺めているほうが痺れます。

海上から眺める軍艦島の第一印象は、例えが適切かどうかはさておき「あ〜!テレビで見るやつ!」です。
丘の上に立つ神社の鳥居が見えた時、確かにそこに人々の暮らしがあったんだなと感じました。
島の中で廃墟を眺めていた時より妙にリアルな気がしました。

途中、「はい!ここ!ここが皆んなが思う、軍艦島の一番ベストなアングルでっせ!」というポイントで船を止めてくださり、しばしの撮影タイム。
その場にいる誰もが、おそらく似たような写真をこれでもかと撮りまくりました。

軍艦島クルーズは
雨はもちろん風が強すぎても上陸ができないらしく、全行程を無事に体験できて本当によかったです。
行ってよかった長崎!
行ってよかった軍艦島!

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