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帰国して1年、変わったこと変わらないこと

オーストラリアから日本に帰国して1年が経ちました。

2020年9月、パンデミック禍での帰国。自分にとってはわりと大きな決断でしたが、その大きさと複雑さゆえ、背景にあった思いや考えをちゃんと言葉にできないままゆるっと1年を過ごしてしまいました。まあ、特に発表するような内容ではないんですけど。

私のまわりには海外志向な人が多いので、こういう社会になったことによる人生の葛藤にたくさん触れます。渡航計画が狂ってとりあえず日本にステイしたまま時間だけが過ぎてゆくけどさすがに決めなきゃな、とか。逆にずっと一時帰国もできず海外に住み続けているけどしんどいな、とか。海外行き来する生活が楽しかったけどもう旅すらできないしこのまま落ち着いちゃうのかな私、とか。ワーホリの年齢制限そろそろアウトなんだよな、とか。

何かしら未来が見えるまでと“とりあえず”をやってきたけど、この“とりあえず”っていつまで続ければいいんだろう。。みたいなモヤモヤ、みんな抱えてる。

私は以前のようにふらふら旅する生活は早めに諦め、神奈川県の海沿いの街・葉山にて腰を据えて生活してみる道を選びました。決めずに身軽でいるのもいいけど、決めてしまうことで前に進めたことも多かったなと感じています。

帰国してから1年でどこまで来れたのか、変わったこと変わらないことを振り返り、次のステージを考えてみたいと思います。

帰国当時になんとなく描いていた景色

日本で生活しようと決めるまでは、正直めちゃくちゃ悩んでいました。自分のライフステージ的に、そこでどっちを選ぶかで今後の人生がまったく変わりそうだったから。

オーストラリアと日本とを行き来した期間は結果的に2年もありませんでしたが、当初はなんとなく「しばらくこっち(AUS&NZあたり)にいようかな」と思って引っ越していました。数年は向こうに住みつつたまに行き来する感じにしようかな、と。

しかしパンデミック社会が到来すると、残念なことに私のいた地域は、世界で最も厳しいといわれる渡航制限が敷かれてしまった。少なくとも数年は「行き来」が不可能なことが確定し、向こうか日本かどちらかを選ぶ必要が出てきました。その2択なら、私の場合はわずかの差で日本だったということです。

拠点はすっかり移していたので、いろいろなことを完全に日本に戻しました。とはいえ持ち物はかなり少なく、スーツケース1個+バックパック1個+ダンボール3箱くらい。向こうでは家具付きハウスだったし、渡航前に持っていた家具家電はほとんど処分してしまったので、日本に置いてあった荷物を含めても全所有物が3畳分くらいに収まっていた感じ。

「どこかにちゃんと住みたいな」という気持ちはありました。旅の延長線上のミニマル仮暮らしはもう限界も感じていたし、一時的ではない帰国のつもりだったので、ちゃんと家を借りようと。その場所がどこになるかは未定だったけど、なんとなく光景を思い描いた状態で帰ってきました。

住まいと所有物:たった1年とは思えない変化

というわけなので、この1年で一番変わったことは、住まいを構えて所有物が10倍くらいに増えたことです。比喩ではなく、質量でいうと本当に10倍近くになっている気がします。

ゼロからのスタートだったので、ひと通りの家具や家電を買いました。知識がなかったせいで買ったそばから後悔したものもたくさんあるけど……。オーストラリアの家よりスペースがだいぶ広くなったので、必要最低限でこじんまりという感じでもなく、それなりに普通の家にはなってきました。

電車のない地域に住んだので、車も買ってしまいました。かわいいコンパクトカーではあるものの、車所有はわりと思い切ったなという感じです。去年と今年の「持っているもの」の振れ幅がすごすぎて震えてるけど、なんか旅よりも旅らしいなとは感じてる。私にとってはずっと、こういう生き方のほうが未知だったから。

暮らし全般:得てきた感覚を忘れずに再現

ただ、暮らす土地はできるだけオーストラリアの環境に近いところを選びました。小さなあたたかい街で、海まで歩いて行け、人との距離感がほどよく、自分にとって最高な空気感の中で暮らせていることは変わりません。

ちょっとした暮らしの要素も再現できていることは嬉しい。家の中で使うもの全般とか、ゴミを極力出さずサステナブルに暮らすとか、マーケットで新鮮野菜を買うとか。日常の中に海がある生活を引き続きできているので、サンセットタイムにお散歩したりと、ルーティンも継続できてる。

Instagramで毎日の生活を見てくれている友達からは「オーストラリアいたときと本当に変わらない生活してるね笑」と言われます。

仕事:意外にも場所の影響はほとんど受けなかった

仕事はフルリモートでやっていたので、日本に拠点を移し現場にも行けることで何か変わったらなと思っていました。2020年内は、ずっと会えていなかったお仕事関係の人に会いに行ったり、現場やイベントに顔を出したり、東京で何かしらの会合に参加したりしていました。

でも冬になるとまた感染が増え、緊急事態に。ちょうど葉山に引っ越したタイミングだったのもあって、ほとんど都内にも出ていかない生活になりました。オーストラリアにいるのと何も変わらないんだけど……?と、ふと気づく笑

長期的に見れば、湘南地域や他の日本の地域に関わるようなプロジェクトに携われたりと、帰ってきたからの展開もあったようにも思えますが、普段は相変わらずリモートワークだから劇的な変化はない。でも自宅のワーク環境が思うままに整えられたのは大きい変化かな。

仕事は正直、どっちにいてもそれぞれのアドバンテージをいかしてやれていたのかなとは思うけど、暮らす場所と働き方と生き方についてはものすごく考えた1年でした。現実的な話、日本で生活をつくるにあたり昨年とは比べものにならない額が飛んだので、頑張るしかないです。

人間関係とコミュニティ:根を張ることで生まれる関係がある

特に葉山に住んでからは人間関係にもけっこう変化がありました。

“とりあえず”で住んでいると付き合う人も深まらないというか、「コミュニティ」というものに入り込む機会が少ないのかなと思うんです。地域のコミュニティって大事なんだなというのはオーストラリア生活の中でもすごく感じていたこと。

特に、遠出をするな、地元で過ごせと言われ続けるこのご時世、住んでいる地域で人間関係がつくれていたり、地域の人々の性格や雰囲気と相性がよかったりすることの価値は大きい。今まで住んだ日本の街では「家が徒歩圏内」みたいな友達ってほとんど作ってこなかったけど、ご近所友達は本当に貴重だなとわかりました。

私の住む地域はちょっと特殊かもしれないけど、根を張ることではじめて起こる展開、進む関係性ってすごくあるし、出会える人の層も全然変わってくる。それをリアルに感じることが増えました。

さいごに

まとめると、帰国してからの1年で「ようやく根が張れてベースが整った」という感じかな。スローペースですが、なんとなく思い描いていたことは実現したので、次を考える準備ができてきました。

我ながらいい判断だったなと思うのは、世界はもう戻らないと早めに見切りをつけてしまったこと。今を「動けない期間」「やりたいことができない時期」と捉えて放浪属性な自分を抑え込みながら仮暮らしを続ける可能性も考えられたけど、思い切って根を張ることを選んでよかったかも。

最近は「まあ済ますこと済ませれば海外にも行けないことはないんだな」みたいな世界にぬるりとなって、決断する人も増えてきた感じがします。バチッと新しい世界に切り替わる瞬間なんて訪れないから、不完全でもモヤモヤを残したままでも、覚悟を決めて進むしかないんだなと思います。「決めた道を正解にする」が最近のモットー。

そんなことを考える、帰国して1年経った今日でした。やっと振り返れてよかったです。引き続き楽しくやっていきたいと思います。


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