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13年目となって

なんだか毎年毎年重苦しい日になって丸12年。

メディアで働く人間になって丸6年。

働き始めて6年、メディアの中にいるけど震災に触れる機会が減った。というより、被災者の自分にとっても関心が薄れてしまっている。前も書きましたけど(笑)。

3月11日の前後3日間ぐらい、急にメディアでは震災の話題が増える。

この現象も12年毎年続いている。「忘れない」とこの前後3日間で思い出したように言葉にして、何の意味があるんだ?

・・・って、大学生の頃の僕は思っていましたけど、これはこれで必要なことなんだろうと思うようになった。毎日、震災に思いを馳せるなんてことは到底無理なことであって、被災者の中にも濃淡がある。思い出したくない方もいれば、自宅跡や家族を失った場所にお花を捧げる方もいる。

「被災者」とか「被災地」とか、ひとことでくくってしまう姿勢に、震災直後から違和感があった。1人1人それぞれの背景を見ないで、者とか地という言葉で分類してラベルを貼る。じゃあそうやって分類するあなたは何者なんだと。1人に手を差し伸べられないなら、黙っておけと。ラベリングしてないで黙って寝ていろと思うこともあった。

そもそも「被災者」と「それ以外」という構図が続く限り「忘れない」なんてことは難しいように思う。誰もが被災者になり得るのだし、誰もがいつ傷つくかはわからない。みんな同じ状況になり得るということを自覚できるかどうか。でも、そんなことを毎日考えていたら疲れる。「忘れてもいいけど、いざというときは思い出そう」ぐらいのスタンスでもいいと思う。


当日は雪が降っていた。高校のグラウンドで野球の練習をしていたけど、揺れたときは外にいたのに立ち上がれないほどだった。きっと、学校が「家に帰ってもいい」と言っていたら僕は帰っていたし、帰っていたら今頃この世にはいなかったかもしれない。

自宅の跡地は観光果樹園になったし、区画は残っていても暮らしの面影はまったくない。更地になった土地には工場やら家が建つ。海が見えなくなるような防潮堤を建てて、自然と分断して。「防潮堤を建てたから津波はもう来ない」と言わんばかりに、津波が来た場所に建物をどんどん造る。

「忘れない」って一体なんなんだろうか。見たいものを見て、見たくないものは見ない。その場所では何も起きなかったように見せて、また経済を動かす。一方で傷を抱えた人たちの話をし続ける。

一体何が起きているのか、僕にはわからない。矛盾をはらむのが人間だとは思うけど、気持ちの悪いことが起きている。きっとこれは今に始まった話ではなくて、何百年も、何千年も前から続いていることなんだろう。さっき書いたこととも矛盾している。いいように解釈して社会を作って、そのツケを誰かが払う。原発事故も津波災害も構図は似ている気がする。

まあ、電気代が上がったら生活は苦しくなるし、工場が建たなかったら物流は滞るし物の値段は上がる。家が建たなかったら儲からない業界もある。全てはお金との交換なんだろうか。お金がなければ生きていけないけど、お金に苦しめられているんじゃないだろうか。社会のひずみを無視して、パワーが溜まって弾ける。地震のメカニズムと同じだ。いつまで見て見ぬ振りをするんだろう。これは、綺麗事なんだろうか。電気代が上がると僕もくるしいので、これもまた矛盾。矛盾、愛せます?笑

今日は春みたいにあったかい。ただただ花粉症がつらい。そんな13年目を迎えて、今思っていることを書いた。なんかこう、大学生の頃だったら1万字ぐらい書いていたんだろうけど1500字程度。いい意味でも悪い意味でも大人になった気がする。

思いは薄れる。だとしたらどうしようか。とりあえず今日は、実家跡地に行ってみよう。

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