クソまとめ記事量産会社で勤務していたら推しのデマ記事を作らされた話
クソ記事量産型のメディアサイトで働いていたこと
ネットで調べものをしていたら、最初に低品質クソまとめ記事が出てきて舌打ちをした経験はないだろうか。
私は以前、そんな低品質記事メディアの運営会社でインターン生として働いていたことがある。
社名は伏せるが、悪い会社ではなかった。社員もインターンもライターも皆いきいきとしていたし、誰もが仕事熱心で明るい職場だった。ただ記事がクソだっただけで。
私はディレクターというポジションだった。
ツールなどを駆使して記事ネタを探し、SEO(検索で上位に表示させること)に詳しいコンサルの人にアドバイスを受けながら記事の構成を考え、十数人のライターさんに割り振るという仕事だ。
さらにライターさんから上がってきた記事にフィードバックをし、毎日何本も記事をネットの海に送り出し、PV(閲覧数)などを分析し、毎日数回のミーティングをし、ノルマを報告し……。
業務は数えればキリがない。大学に通い、別のアルバイトと掛け持ちしながら、週50時間ほどそのメディア会社で働いていた。
月給は5000円。時給にして100円ほどだ。
ミジンコみたいな時給だが、私はインターン生だったので違法ではないらしい(たぶん)。
これほど搾取されながら1年近くも働けたのは、ものすごくやりがいがあったからだ。
上司も優しかったし、仕事も楽しかった。ライターさんとも仲良くなって、遊びに行くこともあった。どこかサークルのノリでいたのかもしれない。
そして何より、私の担当したクソな記事にたくさんのPVがつくのが面白かった。こんなにクソなのに、これを多くの人が読んでいるなんて、まるで世界中の人々の人心を掌握しているような気分だった。
なぜああいうメディアサイトの記事はクソになるのか。それは、記事の作り方に原因がある。
多くのメディアサイトの記事の一般的な作り方は、おそらく以下のようなものになる。
①注目されているバズワードをニュースサイトやツールなどを使って探してくる(例:イギリス料理 まずい)
↓
②そのワードがどのようにバズっているのか分析し、記事にするかどうか決める(例:たまたままずいイギリス料理がバズっただけなのか、それとも本当にイギリス料理はまずくて記事にしたら継続的に読まれうるのか、など)
↓
③すでにネット上にある先行記事を探す(例:「イギリス料理 まずい」で出てくる記事を探す)
↓
④先行記事をもとに、ディレクターが記事の方向性や構成を決める
↓
⑤取材などをして裏取りする(例:イギリス料理を食べてみる、など)
↓
⑥ライターがSEOに有利な文章を書く(例:「まずいイギリス料理10選」など)
↓
⑦チェックや修正などして公開
↓
⑧PVなどを分析し、必要であれば書き直しやページ分けなどのテコ入れをする
新聞社がやっているようなちゃんとしたメディアなら③の先行記事がなくてもしっかり取材などして記事にすることは普通だ。
ただ、普通のメディアサイトでは、バズっている先行記事などをベースにして書くことが多いと思う。
完全なパクリにならないように、要素を付け加えたり構成や文章を変えたりする。
SEOで不利な個人サイトなどは、企業のメディアサイトに秒でパク……参考にされて、検索下位に押し下げられてしまうという構造がある(ゲームの攻略サイトなどはこの構造が顕著だ)。だが、まあここまでは市場競争の範囲ともいえる。
問題なのは、クソメディアサイトが⑤の裏取りをすっ飛ばしているということだ。
例えば、「まずいイギリス料理」について調べたとする。
ちゃんとした記事ならば、実際に食べてみたとか、詳しい人に取材をしたとか、公的機関がそういう見解を出しているとか、そういう裏取りがされている。
仮に「イギリスってどこにある? 調べてみました」みたいなわかり切った見出しで内容が水増ししてあったり、最後に「いかがでしたか?」みたいないかにも頭の悪そうな文言が書かれていたりしても、裏取りのある正しい内容さえ書いてあればそれは「ちゃんとした記事」なのだ。
(余談だが、「いかがでしたか?」はクソ記事の代名詞として認知されすぎていて、ライターに「いかがでしたか?」と書くのを禁止しているサイトも複数ある)
私のいたメディア会社は、⑤の裏取りを一切していなかった。
裏取りなんてしていたら情報の鮮度が落ちるし、記事を出すのが遅くなればなるほど最終的な獲得PVが落ちる。ディレクターもライターもPVノルマが課されているので、とにかく早く、コスパよく記事を出したいのだ。
そして、それによってある事件が起こることとなる。
クソメディアサイトで起きた悲劇
当時、私には大好きなYouTuberがいた。仮に、彼の名前をAとする。
時事系ニュースYouTuberで、とにかく下世話な語り口が面白い。
ニュースの内容には速報性があって目新しく、Aのニュースを参考にして記事を作ることもよくあった。
Aには、どこか不思議な愛嬌があって、みんななんとなくAのファンになってしまう。私も毎日投稿を楽しみにしているうちの一人で、一介の視聴者ではあったが、Aのことを実の兄のように思い慕うほどだった。
1日1回、多い日は3回も動画投稿をしていたAだったが、ある日突然投稿がストップした。
そういえばここ数日見ていないな、と気づいた頃に、SNSでAの訃報が告げられた。
自分にとって「身近な」人間が亡くなったのは初めてのことで、私はひどく動揺した。
そして多くの「遺族たち」がそうするように、私は皆と彼の生きていたころの思い出を共有したくなった。
私はAの記事を作らせてくれと編集長に申し出た。
編集長はAのことを一切知らなかったらしく、記事にするのを渋っていたが、私は半ば押し切る形でAの記事のディレクションを進めた。
私はAがどんなYouTuberだったのか、Aがどれほど慕われていたか、SNSでのAの死を悲しむ人たちの声などを構成にまとめてライターさんに渡した。
そして数日後。ライターさんから返ってきた記事のタイトルは、以下のようなものだった。
「Aが死んだはデマ! 本当は生きている!」
最初、意味が分からなかった。Aは確かに死んだのだ。スピリチュアル系サイトじゃあるまいし。
文章をよく読むと、記事はなんとAと同姓同名の芸能人についての内容だった。この芸能人を仮にBさんとする。
記事の内容は下記のようなものだった。
・芸能人のBさんが死んだといううわさが出回っている
・しかし、芸能人のBさんのSNSは最近まで普通に更新されている。
・実は芸能人のBさんが死んだというのはデマで、本当に死んだのはYouTuberのAさん
・芸能人のAさんはどんな経歴? 彼女は? 出身大学は?
……
さすがにこれはない。亡くなったのはAで、みんなAのことを知るために読みに来るはずなのに、芸能人Bさんの彼女やら学歴やらの話をするのは明らかにおかしいのではないか。
そう考えてライターに書き直しを依頼した。
ところが、ライターさんの回答は、「編集長にこう書くように指示されたので変えられない」というものだった。
私はすぐに編集長に詰め寄った。
これはタイトルで釣るようなデマ記事の範疇に入り、Aの死に対する冒涜なのではないか。
「えな鳥さんはこのYouTuberのことが好きだったの?」
編集長が尋ねた。私が興奮気味にうなずくと、編集長は「あのね」と言葉を続ける。
「うちは営利企業であってボランティアじゃない。PVの取れる記事を出さなきゃいけないわけ。こんな誰も知らないようなYouTuberの記事を書いたって、誰も読まないでしょ」
そんなことはない。Aだって十分人気はある。私は言い返したが、編集長はパソコンの画面を私に見せた。
「えな鳥さん、この先行記事見た?」
表示されているのは、他のメディアサイトの「芸能人Bが死んだという噂はデマの可能性!? 芸能人Bってどんな人物?」というタイトルの記事だ。
内容は、先日ライターさんが出してきた記事とほとんど同じで、芸能人Bについて取り上げるものだった。ライターさんも、この記事を参考に書いたとわかる。
A(B)の死について取り上げている先行記事は、このサイトのみ。
つまり、先行記事を重視するこの会社では、「YouTuberAの先行記事はないのでだれも興味がない。それより、芸能人Bにみんな注目している」という判断になったわけだ。
おかしな話である。先行の記事は、どこの誰が書いたのかもわからない眉唾物だ。それがたまたま最初に出た記事だったというだけで、Aの死が軽視されるような風潮が拡散されるということになる。
「知らない人が死んだからってだれも興味ないわけ。みんなが知ってる芸能人が死んだのかと思わせる記事にしか価値はない。えな鳥さんはこのYouTuberさんの記事を書きたかったかもしれないし、僕個人としてはその意志を尊重してあげたくもあるけど、これがうちの企業判断。うちの業界でやっていきたいならそういうマインドは捨てた方がいいよ」
その編集長の言葉で、私はインターンを辞めることを決意した。
その後
編集長が間違っているだとか、あの会社がAを冒涜しただとか言うつもりはない。
彼らは方針として、ジャーナリズムよりPVを優先した。それだけのことだ(記事はクソだけど)。
私も別に情報の正しさにこだわりがあっただけではない。それまでパクリすれすれのコタツ記事なんていくらでも作ったし、今回は気持ちが勝ってしまった。ただそれだけ。
ライターさんが書いてくれた記事はあのまま公開され、ほとんどPVはつかなかった。あるとき調べても出てこなくなったので、サイトの方針が変わったか何かで削除されたのだと思う。
現在、「A 死んだ」で調べると、「YouTuberのAさん死去。芸能人のBさんが死んだと勘違いする人も」のような比較的まともな記事が多く出てくる。
おそらく、どこかのメディアがYouTuberのAを中心に据えた記事を出し、後続がそれに倣ったのだろう。
「ネット記事なんてでたらめだらけ」と言ってしまえばそれはそうなのだが、この事件を思い出すたびに思うのだ。
情報の正確さなんて、ほとんど偶然で決まっているのではないかと。