うまくいかない将棋教室の作り方

 はじめまして。湾岸将棋教室という豊洲にある将棋教室を運営しております小林と申します。

 noteにはブログに書けない内容を書いていきたいと思います。教室の情報に興味がある方はこちらのリンクをご参照ください。http://blog.livedoor.jp/wanganshogi/

 昨今将棋ブームと言われていますが、一方で将棋教室が全然ない、あっても一杯で入れないという状況が続いています。私の教室もお休みの方がいるので参加したいという皆様を受け入れられる状況ですが、近隣の定員制の教室ですと既にキャンセル待ちという状況です。一方で道場(響きからして入りにくいですが)は強い人が多くて、弱い人の居場所がない、敷居が高いなどの理由で入りにくいという声があります。

 将棋ブームが終わらないうちに受け皿を広げて将棋人口が増えてほしいと切に願う一方で「なぜ将棋教室が増えないか」という問題に向き合わないと将棋教室不足という問題は解決しません。私は元プロでもなければ元奨励会員でもないただのアマチュアです。そんな私でも6年将棋教室の運営はできましたし、運営してきた結論は「誰にでも将棋教室は作れる」ということです。

 このnoteでは私のノウハウや失敗談を書ける範囲で全部公開していきます。ぜひ皆さん全国各地に将棋教室を作って将棋ブームを終わらせて、将棋を定着させましょう!!

(やっと前置き終わり・・・(笑))

 皆さん「有明将棋教室」という将棋教室がかつてあったことをご存知でしょうか?そうです、私が2012年に作って3年半運営していた将棋教室です。お客様には大変喜んでもらえましたが、経営的には大失敗な将棋教室でした。たぶんトータルで3ケタ行くか行かないかという数字の赤字が出ていたと思います。そんな「有明将棋教室」を反面教師にしてうまくいかない将棋教室の作り方を解説していきます。

 2012年の初め、私は戸辺誠七段がやっている「自由が丘将棋教室」に通っていました。当時プロが主催する将棋教室はほとんどなくてしかも若手伸び盛りの棋士が主催して教えてもらえる場所はここだけだったと記憶しています。通い始めて3年近く、少しずつ強くなっていましたが棋力について行き詰まりを感じていました。もう強くなるには限界かなと思い始めた一方で、将棋を楽しむことはまだまだやりたいと思っていました。

 そこで思い立ったのが普及、つまり将棋教室の開設です。当時の私にはあまり褒める要素はないのですが、唯一褒めたいのはその時戸辺先生に「相談したいことがあります」とメールしたことです。そして当時ラッキーだったのは戸辺先生にまだ時間的余裕があったということです。まだ東竜門ができる前で、将棋ブームも起きる前でした。たぶんあと1年遅かったら戸辺先生に断られて将棋教室作りはそこで途絶えてたはずです。

 ここまで読んで今の湾岸将棋教室を知っている方ならびっくりするかもしれませんが、当時私が知っている(とも言えない状況ですが)将棋のプロは戸辺誠七段ただ一人、しかも教室に通っているだけという状況です。現在は多数のプロの協力してもらい、困っているときはレギュラー以外の先生にも助けてもらっている状況ですが、今いろんな将棋教室に通っている皆さんより状況的にはマイナスの状態からスタートしました。

 戸辺先生と教室作りについて何回か相談を進めていきました。自由が丘の教室で戸辺先生の教え方のノウハウも盗ませていただきました。そんな戸辺先生から「誰でも受け入れては自由が丘と同じ客層になります。女性と子供限定の将棋教室を作りましょう!女性と子供に指しやすい環境を作らなくては将棋の普及になりません。」という提案がありました。

 「おお!!!」といのが当時の私の心境。当時から戸辺先生は普及のことをめちゃくちゃ考えていました。そんな戸辺先生の力強い言葉に大船に乗った気持ちでいました。ブログを開設して、twitterも始めて、戸辺先生に宣伝もしてもらい、対地元以外(=女性)への宣伝は完璧。地元(=子供)にどうやって宣伝するか。ビラ配りする時間もないので新聞への折込チラシを入れるという誰でも思いつきそうなことを考えて問い合わせました。新聞折込って折り込む新聞、どのエリアに配布するというのを選べるんですね。そんなことも知りませんでした。湾岸エリア一帯にこのエリアで一番読まれているであろう新聞に折込を入れました(たしか週末の折込チラシです。)ちなみにこの折込、デザインから諸々お願いしたので約9万円くらいかかりました。当時の会費で30人分くらいです。

 ・・・・、これがびっくりするほど反響がありません(笑)。2012年9月、第1回の有明将棋教室、最初の参加者は7人でした。うち女性は1名。この中で今も通われている方は2人だけです。(ある意味このお二方は教室の紆余曲折、成長物語を堪能できて一番羨ましい方々です。)会場はホテルサンルート有明、戸辺先生のご紹介で当時奨励会員の小泉三段にもレギュラーで手伝っていただきました。しかも戸辺先生はノーギャラで、小泉三段も今考えるとお詫びしないといけないレベルの安いギャラです。それでも赤字でした。会場代すら売上で賄えません。そんなことが2年くらい続いた気がします。

 今同じコンセプトでやればたぶん成功します。ただ当時はまだまだいわゆる観る将の人が教室に来て指すということが少なかったですし、将棋教室に来ている女性は大会にちゃんと出る人達でした。そしてそういう人たちは既に他の将棋教室に通っておりニーズは満たされていたのです。「女性と子供」ってコンセプトが5年先を行っていました。

 またもう一つ、開催したエリアを間違えていました。当時私が住んでいたタワマンができたのが2011年、まだ将棋を習い事としてやるほど落ち着いていないかつ子供達が小さかったのです。そのため最初の回に来た6人の子供のうち、4人は豊洲の子供達でした。その後増えていく子もほとんどが豊洲、東雲の子達でした。

 経費をなるべくかけない手段を見つける、適正なエリアを見つける、理念の正しさを追いかけ過ぎずに現実との兼ね合いをしっかり考える。今は当たり前のようにできていますが当時は右も左もわからずただただ赤字を垂れ流す状況が続いていました。

 

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