不覚にも体型に翻弄された10代の話

いつもの開発の話とは違いますが、摂食障害とボディポジティブの話をさせてください。何を隠そう、筆者自身が拒食症に悩んだ経験があるもので。結論を先に述べておきますと、他人の体や見た目にとやかく言うような人のことなんかほっといて自分の人生を好きに生きるべきでは?って話です。

10代の頃に大好きなバレエを習っておりましたが、どうしてもコンクールに出ると決まると常時より体型や筋肉のつき方に気を配ることが増えました。健康的に引き締めることを意識すればよかったのですが、衣装合わせをした時に背中のホックが締まりにくかっただけでショックを受けた10代の私は、自分のことをとことん追い詰めてしまいました。体重が100グラムでも増えればパニックを起こし、第二次性徴期にもかかわらず生理はぱたりと止まったまま2年ほど来なくなった時期もあります。気がつくと食事から脂や肉などをはじきつくし、おやつも食べず、身体が飢餓状態に陥っていることにすら気づかないままある日体に力が入らなくなりました。その時に、もうバレエも辞めてしまおうと思ったところで踏みとどまれたのかもしれません。

その後はゆっくり時間をかけて失った食生活や、認知の歪みを補正する事で今や心身ともに元気になりました。バレエを辞め、海外留学に出てみたことで世の中にはまだ知らない美味しいものがあったのか!と思うままに食べて人と笑うことの幸せを感じてから、体型を気にして食べられない事ほど辛いものはないと痛感しました。食の先にはそれを作り出した人がいて、命をいただいている。命を取り入れて血肉に変えて、生きていく。十分に食べられるはずの環境にいながら、歪んだ価値観のもとに体や心を傷つけるくらいであれば、自分の体を元気に保ちつつ更に人を助けるような生き方をした方がいい。国際協力に高校生で触れながら飢餓で苦しむ子どもの姿と無理に痩せようと躍起になっていた自分の手足の細さが重なった時に、ダイエットなんて、くだらないことをやめようと思ったのでした。

理想の体型や生き方を目指すのは、もちろん本人の自由です。痩せるもよし、グラマーになるも本人の選択肢であって周りが決められたことではないはずですから。元気に生きて、自分の好きなことのために生きるにしても体力が必要なのだとしたら、そこを無理に削って生きるようなことをするのは本末転倒なのではないかなと思います。たまたま自分の経験を通してこのような考えに至った身ですが、現在苦しんでいる人が今すぐに無理やり思考を切り替えろとは言いません。

ただ、倒れて動けなくなってしまう前に少しだけ自分の本当にやりたいことや欲しいもの、足りないものについて振り返ってみて欲しいんです。なぜ自分の体に矛先を向けているか、根本の原因を探ることが何よりの回復策だと思いますから。


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