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おれは、勝手に大文字することに若干あこがれがあることを白状する。よってあれは天狗の仕業に違いない。とりあえず、「ムーPLUS」を読んで、世界の謎と不思議に挑戦することにしよう。(ネットサーフィン記2020/8/9)

日付が変わる前に完成したのはほとんど奇跡だ。おれはフォーティーンのパッチ5.3に向けてやらなければならないことが沢山あるから、だんだん制作速度が向上してきたことには大変満足している。クオリティは・・・知らん。さあ始めよう。

インディーズ大文字あらわる。天狗の仕業か。

京都の近くに住んでいれば誰もが一度は考えたことがあるだろう。ちなみに京都新聞のドメインのkyoto-npはkyoko-npとたいへん紛らわしいのでウソみたいなニュースではあるが、一応、本当らしい。

昔、大学生が懐中電灯で勝手に点灯させたこともあったとかいう話もあった。今回も灯かりの色などからするとライトか何かによるものだろう。まあ、山火事とかになっても困るので、変にわきまえているといえばそうかもしれない。

そういえば、森見登美彦氏の『太陽の塔』で大文字の場所で焼き肉を食べるシーンがあるが、やはり京都の大学生などにとってはスリリングな思い出作りのために欠かせない場所なのだろうか。

しかし、やはりこれは「ええじゃないか」とはいかないようで、保存会なる組織は憤っており、ネットでは「これは許されない」との声もまあまあ上がっている。日本人は無宗教といいつつもなんかそういうのあるんだよねっていうことを感じつつも、そのうちの何割かは、チクショーやりやがったな、みたいな感情が混ざっているのではないかと思わなくもない。

そう。ネットには、申し訳ないが笑ってしまった、との声もある。これは勝手に大文字焼いてまえ、という行動には、ある部分痛快なところがあるからだろう。

なにしろ、今年は疫病退散の祇園祭すら縮小される異常事態。五山送り火も点火箇所を減らして行われる予定になっている。もちろん、これを見んとする人が多数集まってしまっては、クラスター発生待ったなしなので、縮小開催もやむを得ないところだが、なんとなく寂しいものだ。

まあ、これはそんな人々を元気にしようとしたか、からかったかわからないが、タヌキか天狗の仕業といったところだろう。もしくは、祖先が自主的に点けたということでどうだろうか。

遅ればせながら「ムー」がnoteに引っ越していたことに気づいた。

スーパーミステリー・マガジン「ムー」はブレない、変わらない。おれも、当然ながら毎号買って熱心に読んだりは決してしないわけだが、本屋などでうっかり見かけてしまうとついつい手に取ってしまうものである。

1999年を乗り越えて今まだ存在感を示すムー。

40年という歴史の果実である、といえば簡単ですが、やばい・あやしい・うさんくさいの三拍子揃った「ムー」が、「まだあるんですか?」「実在したんですね!」と言われがちな「ムー」が、2020年に至ってあの1999年に匹敵する強い認知を得る。これはどの予言書にも記されていなかったことでしょう。

そんな昨年創刊40年を迎えたムーがウェブマガジンとして2020年1月より活動を開始。

ここにきて、パンデミックという危機が訪れ、我々の日常はどんどん日常を超えていく。大国同士の陰謀めいた争い、あふれかえるフェイクニュース。嘘と真実が交差する混とんとした時代。我々は今まさに「ムー」を必要としている。そんなことを思わなくもない。(ほぼ思わない

おれは正直「ムー」がインターネット化しつつあることを全く知らなかった。今はそんなホットなニュースを見過ごすなど、完全に漫然と日々を過ごしていたと、いたく反省しているところだ。

なにしろ、「ムー」の公式ときたらこうだ。

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いくらなんでもエゴサの圧が強い。しかし、これは、老舗雑誌といいつつネット社会に完全に対応していることの証左でもある。そして、はやりに乗ることを一切恥じていないところも好感できる。つまりナウだ。

ちょっと明らかに「ムー」すぎて使いずらい感じがしなくもないが、これはこれで世界のナゾについて語り合う時などには最適な背景だろう。やはりこういうものは過剰なぐらいがちょうどいいのだ。

とにかくおれも最近知ったので中身はほとんど見ていない。有料コンテンツもあるのだが、おれのようなシロウト向けに気軽に読める記事も用意されている。というか十分すぎる量がある。

とりあえず、「ちょっと不思議な話」のバックナンバーあたりから読んでみるのがいいだろう。

たかがオカルトと笑うなかれ。日常生活の中にいかに興味深いもの、不思議なものを見出せるか、物事を一味違った視点からみられるか、そういうことは人生において極めて大切なことだ。たぶんビジネスとかでもすごく大事だろう。ビジネス書のトレンドを熱心に追いかけている者であれば、昨今は、ロジックの限界が指摘され、より感性が必要とされていることは当然踏まえているはずだ。

しかし一朝一夕には感性は磨かれない。そのためのひとつの方法が、「ムー」のような一流のエンタテインメント誌に触れることだ。書いてあることが本当かどうかは結局さっぱりわからないのだが、そんなことはわりとどうでもいい。

さあ、世界の謎と不思議に挑戦しよう。

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