専門家を盲目に信用することの弊害

先日、私は怪我をした。


スポーツもしない、肉体労働でもないから、普段なかなか怪我などしないけれど、不注意と疲れからか、階段で滑ったことが原因だ。

単なる打撲にしては痛みが強烈すぎた。
でもその日は日曜日。
緊急で診てもらわなくても耐えられると思い、痛いながらも月曜日に整形外科に行くことにした。

整形外科普段通わないから、どこがいいのかわからないけれど、一応近所の整形外科について、いくつか事前に検索をして、変じゃなさそうなところに自分なりに軽いデューデリジェンスはした。

なおこの整形外科、基本的にメインの医者はいるが、その医者が休みの曜日があり、その曜日は別の病院から医者が来ることになっている。月曜日はその曜日にあたる。

見えている患者数に対して、何にそんなに時間がかかるのかはよくわからないが、結構待って診察してもらった。

レントゲンを撮ったら骨は見える限りで折れてなさそうだと言うことだが、それ以外の何かがあるらしい。
しかし、はっきり「あなたの怪我は○○です」のように、何なのかは診断されなかった。
そのため、数週間簡易な固定をして、その部位を動かさないように過ごしていた。

どこの何が損傷しているのかはっきりわからないからか、2週間に一回くらい経過を見せにいくと言うのが続いた。

2回目に経過を見せに行ったときは、痛みが以前よりは収まってきていて、もう簡易な固定は外して、少しずつ普段の生活の中で自分でリハビリをしてくださいという指示だった。
リハビリを続けて、また2週間後に来てください。その時に問題なさそうだったら、「治った」という風にしましょう、と。

その時、私はその説明に、治療計画的なものを示してもらえた気がして、ありがたいと思った。

それから2週間後。

負傷したところはまだ痛みが残ってはいたものの、リハビリの甲斐あって動かすことはできるようになっていた。
今日で通院は終わりだろうなぁと思いながら、状況を医者に説明する気満々で診察室に入る。

すると前回も、前々回も担当してもらったはずのその医者は、「○○(名前)と言います」と述べる。

いや、○○先生なのは知ってるし、今日初めて会わないけどな。いろんな人を診察するだろうから、忘れてるだろうな、とくらいに私は思った。

でも、忘れてる、というより、自分が診察をすでにしていたことに気づいてすらいないようだ、と私が気づくのに、時間はかからなかった。

「階段からは何段くらい滑ったんですか?」と一ヶ月も前の初診のときに私が記入した問診票を見ながら聞くのだ。

戸惑いつつも一応答える。「数段だったと思います。」

でもまだ続く。「どういう風に落ちたんですか?」

え、また今更聞く必要絶対ない情報だよね…でも一応答える。

明らかにこのやりとり、おかしい。
噛み合ってないというか、何か誤解されてる。

更に、レントゲンを撮るようなことを医者は言ったので、この段階でレントゲンは必要ないだろ?と思い、「また撮るんですか?」と私。

そうしてようやく医者が誤解してることが明確になった。
「これは昨日の話じゃなかったのね?」
だって。

私の感覚では、この医者は自分が診察した事実さえ覚えていないと思ったのだが、曰く「また新しい怪我をしたんだと思った。怪我をしてる人がまた怪我をすることよくあるから」と。
それはごまかすために取ってつけたように聞こえた。

だって、入室した時に、この人は自己紹介に名前を述べた。初回に診察してもらったときは自己紹介があったが、2回目のときはなかったからだ。

しかし不思議だ。なぜコンピュータに管理されているカルテを見ているようなのに、気づかなかったのか。

いつも過去に記入されて問診票を毎度その場に出して診察するのか?
そうだとしたらなぜ今回間違えるのか?
そうでないなら、なぜ今回過去の問診票を出したのか?

いろいろ疑問はある。
しかし、この経験で私が感じたことはこうだ。

「専門家を盲目に信用するな」と。

この医者とのやりとり、何かがおかしかった。でも、医者という専門的な判断が必要な業務において、素人である患者は、何が正しくて何が間違っているかわからない。
だからこそ、そう言った専門的な職業の人は「先生」といって頼られたり尊敬されたりする。

でも、「先生」だって人間だ。

人間完璧ということはなかなかない。自分が人間だからわかる。

だから、彼らも間違えを犯す。それは平凡なものから重大なものまでレベル感はいろいろだろうけれど。

この医者とのやりとりで感じた違和感を、何らかの形で表現できていなかったら、私のケースは大したミスにならなかったかも知れないが、例えば不要なレントゲンを撮らされて、またその分の医療費もかかったかもしれない。

でも、これがもう少し違った場面での勘違いだとしたら…

笑える話でもないかもしれない。

だから、専門家相手でも、そのまま受け入れることが良いとは言い切れないと学んだ。

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