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二人はどのようにして唇を重ね合わせることになったのか

第一次世界大戦前には全世界の思想家や文化人は皆がパリに集まった。ピカソもモディリアーニも日本の藤田嗣治も、みなパリにあこがれ、パリで才能の花を咲かせた(中略)人々がどう考えるのかを頭に焼き付けることだ。それが次の相場に生きてくる(中略)世界が終わりそうになる局面が来れば、人々はパニックの中で金や銀を買うだろう(中略)貴金属はポートフォリオの保険になる(中略)お金を印刷し続ければ続けるほど、次のクラッシュがよりひどいものになる。その中で一番ダメージを被るのは日本になる。なぜなら日本の出生率は低く、外国人を受け入れておらず、日銀は今もなお大規模な緩和を続けているからだ

戦争が迫ったと知ってピカソがまず起こした行動は、いかにもこのひとらしく実際的だった。カーンワイラーの画廊が閉鎖され、作品の買い手がなくなるのを見越して、ピカソはエヴァを連れて宣戦布告の前日か前々日(七月三十日か三十一日)にパリに駆けつけ、銀行に預けてあった金をすべて引き出した。「まさに名人芸」とセルジュ・フェラはソッフィチに書き送る。マティスによると、金額は一〇万フランに達した。日頃から金の扱いのはなはだ泥臭いピカソを知る人が言い出したものか、金の延べ棒をベッドの下にしまいこんだという噂が流れた。

ピカソの真価を学ぶとは、すなわち否定を克服することなのかもしれません(中略)否定の層がはがれたときに、私たちは初めてピカソ作品やチョーラの彫像を楽しめるようになるのでしょう。

ロダンはいかに単純化するかのすべてを知っている。その上になお探り続けた。そして皆それで苦しみ続けると言っている(中略)レンブラントも単純化を必死でやって、ロダンに言わせると「レンブラントがそこに行きついて偉大になったときに人々は彼を飢え死にさせた」。つまり、売れなくなってしまう。そういうものなんだと思う。単純というのは危険で、全体を壊さずに単純でなければならない。

シヴァ神は世界の創造者でもあり破壊者でもあり、片手に創造の太鼓、片手に破壊の炎をもった姿で描かれる。しかし、シヴァは無も表現

私の見解を、インド美術のもっとも偉大な聖像である「踊るシヴァ神」、別名「ナタラージャ」の話で締めくくることにする(中略)二〇世紀への変わりめの頃、年配のフランジ( 「外国人」あるいは「白人」を指すヒンドゥの言葉 )の紳士が、そのナタラージャ像を畏敬の念を抱いて凝視しているのが目撃された(中略)彼は一種のトランス状態となり、踊りの体位をまねはじめた。まわりに人垣ができたが、紳士はそれに気づく様子もなく、ついには館長が見にやってきた。館長は気の毒な男の身柄を拘束させようとしたが、すんでのところで、そのヨーロッパ人が世界的に有名な彫刻家のオーギュスト・ロダンだということに気づいた。

マティスは助言を求めてロダンを訪ねたが、この巨匠の生き生きとした独創的な写実主義の秘訣を得ることはできなかった(中略)断固たる無神論者だったマティス(中略)裕福なブルジョワへの怒りといったアナーキーな感情がひそんでいたことを後年のマティスは認めている(中略)戦後になってヴァンスのマティスのもとを訪れた人びとは、みながみな二つのことに驚かされた。一つ目は、こんな箱のような小さな家にマティスが住んでいたのかということ。ル・レーブ荘はとても質素な目立たない家だったので、ピカソは最初、もっと先にある立派な家のドアをノックし、近所の人に案内されてマティスの住む家まで戻ってきたほどだった(中略)私が思うに、すぐれた芸術家でありたいなら、孤独になることが必要だ───マティス

宇宙の大河は、踊るシヴァ神の姿をしている。この神の踊り、宇宙の流れを支える踊りが時間の流れなのだ(中略)踊るシヴァ神がこの世界を支えているのであれば、一万のシヴァ神がいるはずなのだ。ちょうどマティスの絵画のような、巨大な踊り手たちの集団が(中略)すべての出来事を生じさせているのは、このどこまでも増大するエントロピーの踊り、宇宙の始まりの低いエントロピーを糧とする踊りであって、これこそが破壊神シヴァの真の踊りなのである。

「わたしは他人のもとで数多く働いた。わたしのように, 政府の援助もなく手当もない貧しい人間は, ありとあらゆる人のもとで働かねばならなかったのだ」(中略)私は50歳まで, 貧乏がもたらすありとあらゆる苦労を味わった(中略)「生活するために, 私はありとあらゆる分野の仕事を覚えた。大理石を削ったり, 装飾彫刻を製作したり, 彫金師のもとで装身具もつくった。 そうしてあまりにもたくさんの時間を失ったことを, 私は悔やんでいる。そのときさまざまなことのために費やした労力を集めれば, ひとつのすばらしい作品ができただろうから。しかし, 結局そうした苦労は私のためになったのである」(※ロダンは古代の彫刻を熱心に研究した)。※引用者加筆.

一九二〇年代にオーギュスト・ロダンの彫刻『接吻』が東京の美術館で公開されたときは、全裸の男女のキスが一般の人に不快感を与えないよう竹すだれで仕切られた(中略)キスを科学的に探る旅もそろそろ終わりに近づいてきた。旅路を振り返ってみると、キスのことはだいぶわかってきたが、それと同時に追求すべき課題も残っている(中略)いつものようにキスの資料を調べていたある晩、キス関連の科学論文の山の峠をやっと越えたことに気づいた。それで、ふとこう思ったのだ(中略)キスシーンは心に訴える。実生活でも同じだ。いつ、どこで、どのように恋人とファーストキスを交わすことになるのかと想像し、ついにキスが実現すれば舞い上がるだろう。追い求め続けたすえのキスシーンはロマンチックな詩の一節のようであり、バイオリンが奏でられ、花火が空を彩りそうだ(中略)二人はどのようにして唇を重ね合わせることになったのか。───フランスの詩人・小説家・劇作家ビクトル・ユゴー

得した気分を味わわせるのが、ダンディな男です───中谷彰宏氏(著書名失念)

紀元前七九年、ヴェスヴィオ山が噴火し、その火山灰に覆われたポンペイの町はそのままの形で保存された。ほとんどの人はヴェスヴィオ山から逃げようと走ったが、大プリニウスは噴火の様子を調べ、観察し、さらに生存者を救出しようと、危険地帯にまっすぐ向かっていき、その活動の最中に死んだ。しかし彼の名誉のためにいえば、クラカトア火山の噴火のようなもっとも激しい噴火のことをウルトラプリニー式 (プリニーはプリニウスの英語読み) と呼ぶ。これは無知でいることよりも知ることを選んだ男に敬意を表するためにつけられた名前だ。




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