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より小さな円を描くコンセプトは、チェスにおいても武術においても、僕の学習プロセスの大きな要素になった

見つめる時間を長くすると、親密な時間を築きやすい。二人が知り合いで、互いに好意をもっていれば、数秒間のアイコンタクトも許される。恋愛中の二人は、よく長い間見つめあっているものだ。しかし、他人を無遠慮に凝視しては警戒される。そこで、警戒されずに初対面の相手をじっと見つめられるテクニックを紹介しよう。それはアイコンタクトをした後、普通より1秒だけ長く相手を見つめるというものだ。このとき、ゆっくりと頭を別方向に向けながら、視線だけ後1〜2秒、相手に残す。相手は、あなたの頭が他の方向を向いたので、自分が「凝視」されたとは認識しない。従って、警戒心をもたれずに、相手に関心があることを伝えられる。

見つめる時間を長くすると、親密な時間を築きやすい

ときどき、「○○という本に、こう書いてあった」、「○○という評論家が、こう言っていた」といったような、知識をそのまま語るだけの人がいますが、それでは前頭葉は活性化されません。得た知識を、これまでの経験や他の知識を使って加工し、「自分の考え」として述べるときに前頭葉は活発化

警戒心をもたれずに、相手に関心があることを伝えられる

プロフェッショナルの直感的スキルの習得は、基本的には、質の高いフィードバックをすぐに得られるかどうか、そして練習し実践する機会が十分にあるかどうかにかかっている。専門的なスキルというものは、単一のスキルではなくさまざまなスキルの集積である。

「一見かなり複雑そうなことでも、探求と学習を通して理解できると知ったことは、大きな自信になった」とジョブズは語っている(中略)言っておこう。ジョブズは正しかった。

抽象度を少し上げるとは0を1にする作業

並列思考のカギは、無意識化です。そして、パラレル(並列的)な処理ができているかにかかっています。多くの優秀な人材はパラレルな思考ができている場合が多いのです(中略)自己観察を行うことによって、思考の抽象度が上がるということを、釈迦は経験的に知っていた───苫米地英人博士(著書名失念)

生まれつきの才能がモノを言うと思われがちなのは、生まれつきの天才に見える人がいるからだ(中略)魔法でもなんでもない。長期にわたる徹底的な練習の産物だ。

情報を降ろすとは、わかりやすい形でいうと、考えを紙に書き出すシンプルな行為です(中略)情報を降ろすことで、さまざまな細かい点を頭の中で覚えておく負担から解放されます。そのため知的なリソースを解放し、問題解決やアイデアを出すといった、もっと労力を要するタスクに使えるようになるのです。また脳の外へと情報を降ろすことで「分離による獲得」が生まれ、それまでは頭の中にしか存在しなかったイメージやアイデアを、自分の感性を使い、多くの場合は新たな気づきをもって精査できるようになります(中略)降ろすという行為は、文字である必要はありません。体を使うこともできる(中略)体を使って参加する学生だけが、体を動かしたことによる体の内側からの深い理解を得られる(中略)学ぶとは、新しい方法で動くこと(中略)人は体の動きによって、異なる考え方をするようになる

拮抗する勢力の存在が魔力を発揮する

少しの努力でスケートボードもサーフボードも、スノーボードだって乗りこなす。こうしたすべてができるのはなぜか。それは母なる自然が際限なく遺伝子で遊んで新しい感覚器官や筋肉を生み出し、そのうえで脳がその活用方法を考える仕組みだからだ(中略)拮抗する勢力の存在が魔力を発揮する。それがあるからシステムの安定と平衡が保たれ、機に応じて変化できる態勢を整えられる。

この展示で私が学んだのは、脳は必ず錯覚するということだ。あなたがこの文章を理解できるのも、実は錯覚のおかげである(中略)多くのトップアスリートは、イメージトレーニングにも真剣に取り組んでいる(中略)脳にとっては、想像上の「リアル」も、実際に知覚した「リアル」も大差ないということだ。ニューロンのレベルでは、どちらも本物の経験として扱われる。

より小さな円を描くコンセプトは、チェスにおいても武術においても、僕の学習プロセスの大きな要素になった。

抽象化ってもとの知識があってこそだから。もとの知識がないのに抽象化なんかできない↓


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