「価値」の価値

昔は「将来◯◯になりたい!」とか「これやってみたい!」っていうものがあった。

いつのまにか全部失っていた。


もう何年も特にやりたいこと、目標もないままなんとなく生き続けている。だから、人に必要とされれば自分が生きることを肯定出来ると思った。

だけど、やりたいことはなくてもやりたくないことはあった。人に求められることが自分の意思に反していて、でも「必要とされているんだからやらなきゃ。我慢しなきゃ。」と思っていたら心のバランスが崩れてしまった。

ただでさえ壊れていた心に台風がやってきて、よりグチャグチャになって原型を留めていないようだった。


嵐の後、考えた。別に目標も何もなくても生きていくことは出来る。食べて眠れば生存は可能である。だけどなんだか生きる理由が欲しくて、でも自分一人では見つけられなくて、今まで他人にとっての自分の存在価値というものをずっと気にしていたけど、何にでも「価値」というものに重きを置いていたけど、価値ってそんなに大切なのだろうか。

例えば、我々にとってダイヤモンドは希少価値が高いから高価だ。でもいくら珍しいものでも蟻にとってはただの鉱物で、彼らにはそんなもの必要じゃない。価値などない。

同じ物体でも価値なんて周りによって様々だ。

「自分は周りに◯◯を求められている」と思っても、実は他人から見たらそうではなかったり。というか皆んな他人の存在意義なんてどうでもいいんじゃないか。結局大抵の人間は、他の誰でもなく“自分が”生きていくことが大事なのだから。


価値なんて大事じゃないとは思わないけど、結局生きていくには「価値」より「理由」が必要な気がする。それも他人には触れられない、自己完結の自分が生きていたい理由。

自分が生きていくのに他人の意思や視点なんて要らない。


と言葉では簡単に言えるけど、解ってはいるけど、長く持っていた考えを頭から完璧に追い出すのは中々難しい、と思いながら近づく朝。

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