よくできたFREE.2

 翌日、バイトを終えてから職場のメンバーで遊びに行くことになった。一旦家に帰り、着替えて集合場所の駅前に着くと、皆既に集まっていた。あらかじめ店を決めていたのか迷いなく歩く面々に続き、通りに面した複合遊戯施設に入った。平日の七時だが店内は既に賑わっていた。私たちは受付を済ませて二組に分かれ、隣り合ったレーンで球を転がしはじめた。
「女が帰ってこねえんだよ」自分の順番を待っていると、隣に座った先輩の古田が深刻そうな表情で言い始めた。
「四年続いたのに、もう終わりかもな」
「はあ」私は相槌を打った。
「来年結婚しようと思って貯めてたんだ」そう言って古田は紙コップのビールを一気に飲んだ。「お前、女は作らないのか」
「そうですね」
「つまんねぇだろ」
 私は答えず、立ち上がって線の引かれたところまで向かい、球を転がした。
 三ゲームほど遊ぶと女の子たちが帰ると言い出し、解散になった。帰ろうとすると飯を食いに行こうと古田に呼び止められ、私は再び繁華街を歩いていた。やはり来なければよかった。バイトを終えた時点のセーブデータをロードしたくなる。
 明るい通りから細い路地に入ったところで古田が突然立ち止まったので見ると、目の前に汚れた白塗りのドアがあった。店の名前を書いた看板が見当たらなかったので不思議に思っていると、古田はおもむろにドアを開けた。
 店内は薄暗く、ドアのすぐ隣のパイプ椅子に人の良さそうな老人が座っていた。壁に女性の顔写真が並んで貼り出されている。それは風俗店だった。古田は常連らしく目当ての風俗嬢の名前を挙げ、スケジュールを確認している。私はここまで付いてきてしまった自分のまぬけさにへこみながら、ドアの外側から古田に声を掛けた。だが古田は聞こえなかったらしく相変わらず老人と何らかの交渉をしていた。初めて見るようなきりっとした古田の横顔だった。私はもう何も言わず、一人で通りへと引き返した。
 人と関わり合うことで起こりうる何か、そのイベントを回避するという消極的な選択。それでも「私の選択」だ。ゲームではセーブ&ロード機能によって過去のある地点に戻り、何度も選択肢を選びなおすことが出来るため、結果として「私ではない選択」をする私も存在し得る訳だが。
 セーブもロードもないこの現実は、自由ではないように思う。選択肢を一度ずつしか選べないのなら、一人のプレイヤーが見られるイベントは限られている。さらに先へ進むほどに選択肢は自動的に制限されていく。過去の自分が選択した結果発生する目に見えない壁のためだ。
 そして毎日フォークリフトを運転することになる。七十億円掛けて制作されたというリアルな映像の、「自由」を売りにしたゲームがあったが、その中で主人公は、毎日フォークリフトを運転して一日中港の荷運びをすることになる。
 プレイした当時はこれのどこが自由なのかと思ったものだが、その中で表現されていたのは主人公の選び得る範囲の自由だったのだ。過去と未来を結ぶ時間軸を生きる一人の人間として、彼を彼たらしめる自由。そこに、結果としてフォークリフトを運転しない彼は存在しない。
 気がつくと繁華街の雑多な区画を抜けて、駅の近くの明るいアーケードに出ていた。ファストフード店などが並ぶ中に、古ぼけたネオン看板の光るゲームセンターを発見した私は、誘われるようにその中に入った。
 店内に懐かしいレースゲームの大型筐体を発見した私は早速百円を投入した。クレジットが一気に五回分加算された。一プレイ二十円の価格設定らしい。子どもの頃当時最新作だったこのゲームをプレイするために、電車で大阪の大きなゲームセンターまで出かけていって、行き帰りだけで小遣いの大半を消費しつつようやく遊んだ記憶が蘇る。
 当時は対戦型格闘ゲームの全盛期で、ゲームセンターは連日対人戦をするプレイヤーで賑わっていた。だが私は殆ど一人で黙々とレースゲームをプレイし続けた。レースゲームにも人間同士の対戦モードというものがあるが、その場合も相手を倒すというより、結局は己との戦いだった。
 私の分身である、無機物の塊が画面の中を走っている。言葉はない。それは純粋な精神そのものだった。

 金がないのに、ローンで中古の三菱・ランサーエボリューションを買ってしまった。駐車場代と合わせると結構な額の出費になる。ゲームを買う余裕もなく、いよいよもって私はゲーマーなのか、何なのかわからない有様になった。
 しばらく新作ゲームを買えなくなったが、部屋には既に古いゲームが山ほどあるし、中にはクリアしていないものも多い。むしろ今まで買いすぎたのだ、と私は自分を納得させた。
 原稿の件で連絡をくれたゲーム雑誌の編集長との雑談で車を買ったことを話すと、早速私の車で取材に行くことになった。
 都内の編集部で機材を積んで高速に乗り、群馬県に向かう。とある男性が、自宅をゲームセンターに改造したのだという。撮影とインタビューが目的だが、かなりレアものの筐体も蒐集しているとのことで、その実機プレイをさせてもらえるのも魅力的だった。
 黙々と関越自動車道を下っていると、助手席の編集長が言った。
「性格出ますねえ」
「そうですか」
「ライン取りの仕方とか、僅かなずれなんかをすぐにフィードバックしていく感じがすごく、こう」
「褒めてるんですか、それ」
「いえ、何ていうか。ストイックさが西川さんらしくて安心します」編集長のお墨付きを貰いつつ運転していると突然、後方から大型バイクが物凄い勢いで接近してきた。ウインカーを出して、走っていた追い越し車線を譲ろうとすると、バイクは素早く自ら隣の走行車線に移り、そのままアクセルを全開にして私たちのそばをすり抜けていった。その後もバイクは縦横無尽に車線変更を繰り返し、鮮やかに眼前の全ての車を追い抜いて消えていった。
「凄いですねえ」編集長がポカンと口を開けて言った。
「マッハライダーだったら即死でしたよ今」私がふうっと息を吐きながら言うと、編集長も笑って頷いた。
「僕ら、マシンガンで撃たれてましたね」
「あいつ、クラッシュしてもバラバラになった後合体して即復活しますよ多分」
 奴にとってこの世界はゲームなのだ。そう思わせる無機質な存在めいた雰囲気をあのライダーは纏っていた。
 目的の家は普通の住宅街の中にある、ごく一般的な二階建ての一軒家だった。外観も特に変わったところはない。坂本と書かれた表札の下にあるインターフォンを押すと出てきた「ディレッタント」坂本氏も、地味な身なりをした男性だった。年齢は三十代後半から四十代半ばくらいだろうか。趣味に生きるのもそう難しくない現代日本の平和さを私は実感した。
 ドアを開けて貰い軽く頭を下げ家の中に入る。いつか、友達の家で嗅いだことのあるような匂いがした。靴の綺麗に揃えられた玄関は棚の上にも牛の置物のほかは埃一つない。ペルシャ絨毯ふうのマットの上に並べられたスリッパを勧められて履きながら小学生の頃、ゲーム機を幾つも所有している同級生の家に遊びに行った時のことをふと思い出した。
「こっちです」坂本氏に続いて廊下を通って一階奥の部屋に向かう。編集長の話から、てっきり家全体に所狭しと筐体が並んでいるのだと勝手に思い込んでいたので少し拍子抜けする。少し考えれば筐体を一部屋ぶん集めるだけで相当金の掛かることだと判るが、間違いなく編集長は電話で「自宅をゲームセンターに改造した」と言っていた。彼はそういう、口先で物事を大きめに言ってしまう癖がある。
 案内されて入ったゲーセン部屋は素晴らしかった。十畳ほどの一室をぐるりと囲むようにテーブル筐体や、アップライト筐体が並んでいる。もちろん四角くて、背もたれのない椅子も各筐体の前に置かれている。流石に薄暗い照明に煙草の煙が漂っていたりはせず、蛍光灯が煌々と部屋全体を照らしているが、その光景は紛れもなく本物だった。
「パックマニアだ! 懐かしいなあ」編集長が興奮した声を上げる。だが確かに歓声を上げる気持ちはわかる。ブラウン管の発色、コンパネの手触り。これは夢だ。私たちが無邪気に信じていた、あの頃の未来がここにあった。
 帰りの車中、編集長は遊び疲れた子供のようにぐっすり眠っていた。少し腹が立ったが、何故か嫌いになれないのはむしろこういう部分があるからなのかもしれない。そもそも、私のように人から遠ざかろうとする性質のある人間を社会に繋ぎ止めてくれるのは、ありがたいことなのだ。私はそう考えた。だがガソリン代が自己負担だった。
 私は静かな怒りを滾らせ、真っ暗な部屋で再びコントローラを握りしめるとモデリングされた愛車のアクセルを思いっきり踏み込むのだった。

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