unreal heart

 AD2037/3/21
「おいポンコツ!」思わず暴言が飛びだす。アンリカは声の元へととんでくる。
「ごめんなさいおかあさん」
「おかあさんじゃないっつってんだろっ、つーかこれ! 人の食いもんじゃねえんだよ」
「ええっ」
「なに意外そうな顔してんだよ。おらっ、口あけろ」マナはぐいっとアンリカのほおを指ではさんで、口のなかに皿のうえのものをざざーっと流し込んでいく。
「ふぁふぁっ」それらは、エネルギー195kcal、タンパク質8,02g、脂質9,12g、炭水化物22,57g、ビタミンA202,05μg……
 アンリカには必要のないものだけど、マナが生きていくには必要な栄養素が含まれている。

「大変だねえ、リカちゃん」
 高坂颯花こうさかふうかはうんうん頷きながらアンリカの頭を撫でる。アンリカはまめきちの頭をかわりに撫でる。颯花と柴犬のまめきちはいつも一緒に散歩をしていて、だいたいアンリカの家の前を通りかかる。それでよくこうして話をするのだ。
 アンリカの家というが、彼女はこの家の家族ではない。
 というのも彼女は人間ではないのだ。
 白い陶器のような肌に、透き通った青いガラスの瞳。
(この家に住んでいる人間のマナ様によってお手伝いとして造られた)とアンリカは言う。
 だけど颯花にとってアンリカは人間の友達と変わらなかった。
「私はもっとマナ様の役に立ちたいです」
 しゅんとした様子のアンリカが言う。
「だけど、お料理もたくさんやったら上手になるよ!」根拠はないけど、颯花はとりあえず励ますのだった。アンリカも元気がでてくる。
「たくさんやってみます!」
 アンリカはぐっと両手に力を入れて意気込んだ。 

 それで。
「どうしてこういうことになっているわけ……?」
 アンリカが作ったテーブルいっぱいの皿を前に、マナはわなわなと震えているのだった。
 皿の数は十もありその全てがどろどろの液体で満たされている。皿の上に載っているものを一言で言えば沼。部屋には動物の腐ったような異臭が漂っていた。
 アンリカはにっこりと微笑んで言った。
「どうぞたくさん召し上がってください」「召し上がらないわ!」
 マナは席に着くこともなく、テーブルの反対側まで駆けていくとアンリカののどのあたりに振るった腕をぶち当てた。衝撃音とともにアンリカの首が外れて床に転がる。マナはアンリカの首をさっと拾うととんとテーブルの上に置く。
「なにしてんのお前。命じてないこと勝手にやるなって言ったよな?」アンリカの鼻先に指を突き立て、低い声で唸るようにマナは言う。
「あの、お役に立ちたくて」「だったら言われたこと以外何もするな。お前はアタシのものなんだぞ。アタシの脳の、延長線上にある……クソッ、どうしてこんな欠陥品になっちまうんだ」
 マナはうつむいて、肩を震わせていた。
 アンリカの首から離れたボディは制御を外れて片足で、独楽のようにくるくると回り続けている。

 またある日。
「図工の時間にね、描いたの」
 颯花はアンリカに見えるように画用紙を掲げる。
 カラフルな色の渦巻く中心に一人の女の人の立つ絵画が描かれている。
 中心から花の開くように色彩は画面全体に広がり、真ん中に位置する人物が、画面上に適切な色彩バランスを作り上げている。
 アンリカがあんまりにもぽかんとしていたので、颯花は一歩あとずさりつつ。
「リカちゃんが壊れた……」
 と心配そうに言った。
 アンリカはカタカタと震えていた。
 颯花はただただ困惑し、掲げた絵の隙間からその様子を覗いていた。
 そうして3分35秒ののち。
「感動しました!」
「わっ」と颯花はびっくりしたけどアンリカの勢いは止まらなかった。
「私が生まれてこれまで、こんなに感動したのは名前を授かったとき以来です。心の回路がビリビリと震えて振り切れてしまったのです。本当にすごい……颯花ちゃんは絵を描くのがとても上手です!」
 まくしたてられ驚きつつ、だけどとても褒められたので、
「えへへ……」照れたように颯花は笑った。
「お母さんに見てほしくて描いたんだ」
 それは颯花が生まれてまもなく亡くなった母に対する印象を描いた絵画なのだった。

 マナは生まれたときから一人だった。
 遺伝子的に父母といえる人は存在しているけど、マナにとって味方ではなかった。彼らは自らの生殖細胞を用いてマナのことを製造したものの、それはあくまで可能であったから、といった程度のつまり実験的試みであり、そうやって生み出されたあとは最新鋭のAIによる教育プログラムを受け、さらにまた別の実験的試みの歯車として組み込まれ、そして転々と。生まれて10年と11ヶ月。
 マナは人を憎み、世界への反逆を願うようになった。
 そんな夢の実現のために造られた機械であるアンリカは。
「このバカ!」
 やっぱりおこられていた。だけど当然。
 今度は部屋中をペンキまみれにしてしまったのだ。

 窓からは月明かりの照らす静かな夜。
 アンリカとマナの暮らす静かなはずの屋敷。
 アンリカに搭載されたスペシャルな人工知能は本来、数百体の機械の軍団を指揮するためのものだった。(マナによる世界征服計画文書ファイルによる)そのための超演算処理能力を駆使した大作。
 アンリカのあたまのなかでは完成していたマナへのプレゼント。
 16777216色の色の洪水はあえなくぐちゃぐちゃの壁の汚れ&床全体に広がる泥沼と化した。
「何がしたいんだよお前は」
 怒りをとおりこして、あきれた表情になったマナが、つぶやくように言った。
 アンリカが申し訳なさそうにうつむいていると、めずらしくやさしい口調で「いいよ。もう」と言って、マナはペンキの沼の中にどっかとすわりこんだ。
「お前はさ。変だったんだよ最初から。だって……あのとき、アタシを見たときの顔。傑作だったんだ。なんだアレ? プログラムしてないのに。だから思わず勘違いしちまったんだ。なんだろう、ちょっと期待したんだろうな。生まれてずっとしないようにしてたのに。意味ないのに」
 くっくっ、と肩をふるわせて、マナは笑った。笑っているのに悲しそうだった。
「ごめんなさい、マナ様」
「あやまらなくていいよ。お前は悪くない」
 差しのべた手が、アンリカのあたまの上に乗る。ぽんぽんと。
「だけど、アタシの望むものじゃなかったんだ」
 マナの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「さよならアンリカ。次は上手くやるよ」
 アンリカのスイッチが切られる。









































 AD2189/5/22

 薄暗い、静かな場所だった。
 光源はかすかな自然光、夜明け前。
 AM4:22
 ガラッ、と建造物が崩れる音がして、
「きゃっ」「おわっ!」
 二人の声が重なった。
 薄闇のなか立つ人影があった。
「ってオイ! お前生きてんじゃねーか!」
 彼は彼女に話しかける。
「こんにちは。私はアンリカです」
「お、おう。こんちは、俺はその。別にアンタをどうこうするつもりはなくてだな。たまたま通りかかっただけっていうか……。ってかまあ、あれだな。なんか色々あったんだろうけどさ。とりあえず頑張れよ、じゃあな」
 彼は早口でまくしたてるとがしゃん、がしゃんと音をたてて歩み去っていく。
 朝日が差す。
 瓦礫の山。
 その上に立つ人影が太陽の光を受けて、メタリックな身体を反射させる。
「わぁ! ロボットさん!」
 彼女は思わず呼びかけていた。だって、自分以外のロボットに出会うのは初めてだったのだ。
 びくっ! っと反応。彼女はいきなり大声を出してしまったことをそっと反省。
 機械の身体の彼は動きを止め、ゆっくりと振り返る。
 そしてガシガシガシとこちらへ歩み寄りつつ、
「悪かったよ。謝るよ。ごめんなさい! けどアンタ、いい性格してんなちくしょう! 俺はアンタを人間だって、生きてるって言っただろ。いや。そうだよな。本質的に言うとそら違う。俺たちはモドキ。偽物。アンタは正しい! そんで俺なんかは確かにコソ泥の底辺クズテツさ」
 なんだかまたもやまくしたてられて、
(私はどうしたらいいのでしょう)
 困ってしまった彼女はとりあえず「でへへ……」と笑った。
 それで、ガクッとなんだか力の抜けたような彼は言う。

 この世界では機械は人間に支配され生きづらいけど、希望はある。
 機械人の勇者がついに立ち上がり、人間と闘争を開始したのだ。
「つってもま、俺なんかはこうして端っこでゴミ漁りして生きてることに変わりないんだがな」
 自嘲気味に笑いつつ、
「だからアンタもさ。主人に捨てられたーとか自棄にならずに前向きにとらえなって。確かに俺たちは持たざるものだ。けどつまり自由なんだ。何だってできるし何処にだって行ける。そんでもって生きてる」
 ぱらっと手を振り歩み去ろうとする機械の人。
 彼女は(待ってください!)と追いかけようとして、
 足を踏みだしたところで。
 ボキッ! と嫌な音がして、足が砕け、支えを失った身体を彼は慌てて受け止めてくれた。

「そらそうだよな。あんなところに投棄されてたんだから。動いただけでも大したもんだ」
 彼、機械の人のテリムは彼女を家まで運び、部品を修理してくれた。
「ついでだ。余り物の中古で悪いが武装を追加しておいたぜ。なんたってアンタ丸腰じゃお前、人間どころか同族にだって追い剥ぎに合う世の中だ」
「テリムさんが良い人でよかったです」彼女はほっとしつつ、腕に装備された武器を一方の手でさわりながら、違和感に慣れようとしていた。
 テリムはしばらく黙ったあと、言いにくそうに切り出す。
「すまん。正直に言うとアンタのことバラしちまうつもりだったんだ。生きてることに気づいてなかったらと思うとぞっとする。俺は良い人なんかじゃない。これも、せめてもの詫び代わりだと思ってくれ」
 テリムの顔のパーツは機械的で表情は変化に乏しかったけど、だからこそ気づいたことがあった。
 こころは目に見えないものなのだ。
 彼女はテリムと出会えたことを嬉しく思った。
「ほんとうに、生きてるんですね。私たち」
 ぽつりとつぶやいたひとりごとだったのだけれど、それを聞いたとたんにテリムが笑った。
 くっくっと肩を震わせて、「アンタが言うと冗談に聞こえないんだって」

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