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花に嵐の映画もあるぞ(洋画編)。

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わたしの好きな映画を、「褒めること」意識してつらつら書いていきます。 取り上げる映画は、時にニッチだったり、一昔前だったりしますが、 そこは「古いやつでござんす」と許して、ご容赦… もっと読む
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#アカデミー賞

第60回アカデミー賞受賞作「ラスト・エンペラー」_王座の誇りを、垣間見る?

3歳、8歳、15歳と、それぞれの年齢の主人公に扮する少年たちの素晴らしさと、言うまでもなく紫禁城の美しさ、坂本龍一のメロディアスな音楽に魅了される前半。 民衆の怒りと時代のうねりに巻き込まれていく溥儀の悲しみがせつせつと伝わってくる後半。 流麗な演出と美しい映像で、第60回アカデミー賞においてノミネートされた9部門すべてを制覇するという快挙を成し遂げたのが、ベルナルド・ベルトルッチ監督の「ラストエンペラー 」だ。 STORY 1950年、太平洋戦争の終結と満州国の崩壊により

ダスティン・ホフマン主演「トッツィー」_くさった男が、シンデレラになる。

アカデミー賞には、複数:ときに十以上の部門にノミネートされながらも、一つの部門にしか賞が与えられない作品が、得てして存在する。 第55回アカデミー賞で10部門にノミネートされた「トッツィー 」など、その代表例だろう。11部門にノミネートされた「ガンジー 」に多くを攫われ、「トッツィー 」は1部門で受賞したのみ:助演のジェシカ・ラングにだけ与えられた。 相手が悪かったとはいえ、何ら落ち度はない。名優ダスティン・ホフマンの名演を見るだけでも、じゅうぶんにお釣りが来る。 原題の"

第19回アカデミー賞当時最多9部門受賞「我等の生涯の最良の年」_帰還兵の、苦悩。

第二次世界大戦中、アメリカは、「なぜこの戦争が必要なのかを理解させる」ための映画づくりのため、ハリウッドから数多くの人材を動員した。 当時、パン・フォーカスという最新の撮影技術を積極的に導入し、ハリウッドを沸かせていた文芸映画の作家:ウィリアム・ワイラーも例外ではなかった。 戦時中はアメリカ陸軍航空隊に入隊。ドキュメンタリー映画 『The Memphis Belle 』、『The Fighting Lady 』、『Thunderbolt 』 を製作。 しかしその『Thunde

1949年アカデミー美術監督賞受賞、テクニカラーの傑作「赤い靴」。

1949年3月24日開催 第21回アカデミー賞において、史上初めて、非ハリウッド製作である『ハムレット』が作品賞を受賞した。イギリス映画史に残る快挙だった。 もう一つの快挙は当時、白黒とカラーに分かれていた美術監督賞にも存在した。白黒の部門で『ハムレット』が、カラーの部門で同じくイギリス映画である『赤い靴』が受賞したのだ。 アルフレッド・ヒッチコックが拠点をアメリカに移して久しい当時、本国イギリス映画には4人の巨匠がいた。 1人はローレンス・オリヴィエ(シェイクスピア作品を

はだかの土の匂いがします。苦難に生きる人々に優しいジョン・フォードの傑作三本だて。

いまや西部劇の巨匠、「駅馬車」の監督で語られている感もある映画監督ジョン・フォード(1894−1973)。 それだけで評価するのは、もったいない! 特筆すべきは、四度のアカデミー監督賞受賞(いまだに破られない記録)が、いずれも西部劇ではないことだ。 「西部劇の巨匠」としては皮肉と言えるし、裏返せば「西部劇に止まらない独自の世界」を描けた巨匠だということでもある。 人間の苦難に対する温かい視線。その語りこそ、この人の持ち味だと思う。 今回は、そのアカデミー監督賞を受賞した