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花に嵐の映画もあるぞ(洋画編)。

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わたしの好きな映画を、「褒めること」意識してつらつら書いていきます。 取り上げる映画は、時にニッチだったり、一昔前だったりしますが、 そこは「古いやつでござんす」と許して、ご容赦… もっと読む
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#フランス映画

戦争するより、踊ろうよ。「ニースについて」。

戦間期も中盤、ワールドカップを初めて開催国として迎えた西暦1929年のフランスは、われわれ日本人が思っている以上に、不安定真っただ中だった。同年生じた世界恐慌による貧富の拡大は言わずもがな、隣国ドイツとの緊張の高まり、軍拡、政治的な論争や対立、そして反ユダヤ主義…。 20年代末に彗星の如く現れ、長編一作、中編二作、短編一作を作って29歳の若さで死んでいった映画青年:ジャン・ヴィゴは、1929年、カメラを片手にフランス南部、ニースに乗り込んだ。隠しカメラによる生撮りを敢行し、

勝手にしやがれ!密偵計画。 ベルモンド×メルヴィルの「いぬ」。

1963年制作のフランスのフィルム・ノワール、監督はジャン=ピエール・メルヴィル、主演はジャン=ポール・ベルモンドが起用された『いぬ』(原題:Le Doulos)より。 ベルモンドは、「勝手にしやがれ」で演じた、ハンフリー・ボガートを崇めつつも彼になることはできないミシェルのはみ出した感じを、本作では「得体のしれない本物のギャング」シリアンとして、全編に漂わせる。 鉄橋とトンネルの下に延々と続く一本道を、トレンチコートの男が闊歩するオープニングロール、ゴツい太文字でキャス

ゴダール前夜その①。メルヴィル×ベルモンドの「モラン神父」

ジャン・ポール・ベルモンド(Jean-Pierre Belmondo、1933年4月9日 - 2021年9月6日)。 ヌーヴェルヴァーグ(New Wave)運動の代表的な俳優の一人として知られ、その魅力的な演技と個性的なスタイルで数々の名作に出演した名優。 ジャン=リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ』のミシェル役は、誰でも知っていることだろう。 そんなベルモンドだが、実はヌーヴェルヴァーグの役者以外にもさまざまな顔を持つ。アクションや格闘シーンを自ら演じるアクション映

"落ちていく、というよりも、滑っていく感じがするんだ。"_"Le grand bleu"(1988)

フリーダイビングの世界記録に挑む二人の男を描いた、リュック・ベッソン監督「グラン・ブルー」より 。 フランス人のダイバージャック ・マイヨールをモデルとした同姓同名の主人公を演じるのが、ラース・フォン・トリアー作品常連のジャン=マルク・バールが、エンツォ ・マイヨールカというイタリア人ダイバーをモデルにした彼の友人かつ好敵手であるエンゾ・マイオルカをご存じジャン・レノが演じる。この時点でトレードマークの丸縁眼鏡をすでに着用済だ。 物語は、”少年のような“男たちの友情を縦糸に

思い出踏みにじるナチどもに復讐を。フランス映画「追想」(1975)

第二次世界大戦中の1944年、医師であるジュリアンは、田舎に疎開させていた妻クララと娘フロランスをドイツ兵たちに惨殺されてしまう。ジュリアンは憎きドイツ兵たちに復讐するべく立ち上がり、古いショットガン1つでドイツ兵たちを殺害していく。 以上、設定は愛するものを殺された復讐という「狼よさらば」「コフィー」同様、70年代はやりのヴィジランテ映画の系譜なのだが、そこはフランス映画。一ひねり加えているのだ。 男は、妻娘を、先祖代々受け継いできた故郷の城塞へと疎開させた。自分は、後か

映画「戦争は終った」_勝手に終わらせるな。レジスタンスの孤独。

エヴァンゲリオン新劇場版四部作を貫くのは、「レジスタンス」の精神だと気づいたのは、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を観てからのことだった。 「Q」より登場する一見異様な反ネルフ組織「WILLE(ヴィレ)」の体質にも、それが現れている。ミサトさんはシンジ(と観客)のヘイトを買うほど内部の掟に厳しく、アスカはケンスケとマリに、拠り所を求めている。 時に弱さ・脆さを見せ、偶に感情を噴き出しながらも、WILLEのメンバーは屈することなく、軍服を纏い、終わりのない戦いに身を投じて

フランスのトラウマ。ベト戦映画な「いのちの戦場 アルジェリア1959」

国家の恥。 「なかったことにしたい」有事は、どの国にも存在する。 フランスの場合、それは1954年から1962年にかけて長く続いた植民地:アルジェリアの独立戦争だった。 19世紀以来フランスの植民地であったアルジェリアでは、独立を求めて1954年にアルジェリア民族解放戦線(FLN)が結成されフランスとの間で戦争が勃発する。ゲリラ戦を展開するFLNに対し、フランスは武力による弾圧を強め戦争は泥沼化する。57年に「アルジェの戦い」(2)と呼ばれる仏軍とFLNとの間で激闘が展開さ

映画「暗黒街のふたり」_ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ…

フランスの映画俳優、アラン・ドロン。70年代の彼は、日本人の恋人だった。 時に情熱的な男(冒険者たち、山猫)を演じ、時に狡い男(太陽がいっぱい、地下室のメロディー…)を演じ、そして時に寡黙な男(サムライ、仁義…)を演じる。 どの役を演じても共通するのは、純粋で一途で、全ての身振りが潔癖そのものと言いたいくらい明快で、澄んでいるということ。直線的であること。単純であること。それをただの「分かりやすさ」に陥れることなく、崇高なまでに倫理的な美学へ昇華させたひと。彼が影を背負った

フランス映画「モンパルナスの灯」_みじかく燃えた、ある画家の肖像。

パリ、セーヌ川左岸14区、モンパルナス一帯は、1920年代狂乱の時代、エコール・ド・パリの時代の芸術家たちの集う中心地となった。 パブロ・ピカソ、ヘンリー・ミラー、藤田嗣治、サルバドール・ダリ、サミュエル・ベケット。イタリアからの移民である画家・モディリアーニもまた、ここの住人だった。 本作は、彼のみじかくも美しく燃えた生涯を描いた、1958年のフランス映画だ。 一言で言い切ってしまえば、こんなみじめなお話だ。 イタリア生まれの美貌のモディリアニは、二十二歳のときから、

映画「まぼろしの市街戦」_これはおとなの寓話。ハートのキングよ何処へ行く。

かつて、作家の坂口安吾は、自ら精神病院で治療を受けた経験をもとに、こう記した。 人間はいかにより良く、より正しく生きなければならないものであるか、そういう最も激しい祈念は、精神病院の中にあるようである。もしくは、より良く、より正しく生きようとする人々は精神病的であり、そうでない人々は、精神病的ではないが、犯罪者的なのである。 坂口安吾「精神病覚え書」 ※青空文庫から引用 余談ながら、坂口安吾が入院した経緯は、このnoteの記事に詳しい 清廉潔白に、誰に対しても優しく、自