マガジンのカバー画像

花に嵐の映画もあるぞ(洋画編)。

184
わたしの好きな映画を、「褒めること」意識してつらつら書いていきます。 取り上げる映画は、時にニッチだったり、一昔前だったりしますが、 そこは「古いやつでござんす」と許して、ご容赦… もっと読む
運営しているクリエイター

#コンテンツ会議

映画「オール・ザット・ジャズ」_ 飲んで、愛して、踊って、歌って。後に残るは、空舞台。

本作は、1980年5月に開催された第33回カンヌ国際映画祭で最高賞「パルム・ドール」を受賞している。 マルチタレントである振付師ボブ・フォッシーが、病み衰えた自分自身を、大胆にもペーソス込めて語ったミュージカル映画だ。つまり、死にゆく男のものがたり である。 ※あらすじ・スタッフ・キャストは、下記を参照。 まじめにふまじめ、ジョー・ギデオン。ブロードウェイの演出家のジョー・ギデオン(演:ロイ・シャイダー)の生活は、ヴィヴァルディを聞きながらシャワーを浴び、目薬とデキストロ

チェス映画「ボビー・フィッシャーを探して」_ひかり、あめ、そして音の世界。

少年少女だけが目にできる、美しい世界というものが、この世にはある。 7歳の少年ジョシュにとっては、光と雨とチェスが奏でる、神秘の世界だった。 ストーリー ジョシュは7歳にして天才的なチェスの才能を示す。それに気がついた父親は往年のチャンピオン、ブルースを息子のコーチとして雇う。第二のボビーフィッシャーを目指してレッスンを続け、やがてジョシュはその実力を全米のトーナメントで発揮し始める。実話を基に、親子の真実の愛を描いた感動のリトル・アメリカン・ドリーム。 スタッフ 監督:ス

「ゴーギャン タヒチ、楽園の旅」…人生一度は異郷をさまよえ!

ここから、早早に逃げだしたい。この国にいると、息がつまる。 だったらいっそ、海外移住しちゃったら? フランス人画家 ポール・ゴーギャンも、生まれ育ったパリにうんざりし、海外移住を目論んだ。ヨーロッパ文明と煩わしい因習からの脱出を望んだのだ。 ものがたりは、山風が記すところの、ここから始まる。 株式仲買人として一応安定した生活をし、ただ日曜画家的に絵を趣味としているかに見えたポール・ゴーギャンは、三十五歳のとき、突如それまでの生活を捨てて、画家として第二の_彼にしてみれば本

第60回アカデミー賞受賞作「ラスト・エンペラー」_王座の誇りを、垣間見る?

3歳、8歳、15歳と、それぞれの年齢の主人公に扮する少年たちの素晴らしさと、言うまでもなく紫禁城の美しさ、坂本龍一のメロディアスな音楽に魅了される前半。 民衆の怒りと時代のうねりに巻き込まれていく溥儀の悲しみがせつせつと伝わってくる後半。 流麗な演出と美しい映像で、第60回アカデミー賞においてノミネートされた9部門すべてを制覇するという快挙を成し遂げたのが、ベルナルド・ベルトルッチ監督の「ラストエンペラー 」だ。 STORY 1950年、太平洋戦争の終結と満州国の崩壊により

ダスティン・ホフマン主演「トッツィー」_くさった男が、シンデレラになる。

アカデミー賞には、複数:ときに十以上の部門にノミネートされながらも、一つの部門にしか賞が与えられない作品が、得てして存在する。 第55回アカデミー賞で10部門にノミネートされた「トッツィー 」など、その代表例だろう。11部門にノミネートされた「ガンジー 」に多くを攫われ、「トッツィー 」は1部門で受賞したのみ:助演のジェシカ・ラングにだけ与えられた。 相手が悪かったとはいえ、何ら落ち度はない。名優ダスティン・ホフマンの名演を見るだけでも、じゅうぶんにお釣りが来る。 原題の"

音楽映画「陽のあたる教室」_この次に待ってる人生に祝福を!

1977年、リチャード・ドレイファスはニール・サイモン脚本の「グッバイガール」でアカデミー主演男優賞を30歳、最年少で受賞した。 (この記録は2002年、エイドリアン・ブロディ:当時29歳に抜かされる。) 「デリンジャー」で初主役、「アメリカン・グラフィティ」やスピルバーグの「ジョーズ」「未知との遭遇」でスターダムに一躍のし上がるも、その後低迷。 急激に老け込んでいく。 しかし彼は味のある老け込み方をした。1995年の「陽のあたる教室」など、その良さが出た佳作と言えるだろ

WW1の忘れたい/忘れられない記憶。「彼らは生きていた」と、3つの「西部戦線異状なし」。

悲惨な記憶、というものは、いとも容易く忘れられる いや、本心では忘れたがっていることに、そろそろ気づくべきかもしれない…。 それを考えるべく、今回は計4つの第一次世界大戦の記憶 を紹介する。 ピータージャクソンのドキュメンタリー 「彼らは生きていた」 2020年2月公開の「彼らは生きていた」 皆様はご覧になっただろうか? イギリス帝国戦争博物館に所蔵されていた西部戦線で撮影された未公開映像を元に、ピーター・ジャクソン監督がモノクロの映像をカラーリング。大戦当時は音を録音

第19回アカデミー賞当時最多9部門受賞「我等の生涯の最良の年」_帰還兵の、苦悩。

第二次世界大戦中、アメリカは、「なぜこの戦争が必要なのかを理解させる」ための映画づくりのため、ハリウッドから数多くの人材を動員した。 当時、パン・フォーカスという最新の撮影技術を積極的に導入し、ハリウッドを沸かせていた文芸映画の作家:ウィリアム・ワイラーも例外ではなかった。 戦時中はアメリカ陸軍航空隊に入隊。ドキュメンタリー映画 『The Memphis Belle 』、『The Fighting Lady 』、『Thunderbolt 』 を製作。 しかしその『Thunde

1949年アカデミー美術監督賞受賞、テクニカラーの傑作「赤い靴」。

1949年3月24日開催 第21回アカデミー賞において、史上初めて、非ハリウッド製作である『ハムレット』が作品賞を受賞した。イギリス映画史に残る快挙だった。 もう一つの快挙は当時、白黒とカラーに分かれていた美術監督賞にも存在した。白黒の部門で『ハムレット』が、カラーの部門で同じくイギリス映画である『赤い靴』が受賞したのだ。 アルフレッド・ヒッチコックが拠点をアメリカに移して久しい当時、本国イギリス映画には4人の巨匠がいた。 1人はローレンス・オリヴィエ(シェイクスピア作品を

ボギー!俺も男だ。遅咲きの男優:ハンフリー・ボガート 傑作選。

面長で、お世辞にも二枚目とは言えないこの男に、半世紀前の世界は熱狂した。 クールで斜に構えたキザな、アンチ・ヒーローを演じる役者。 スーツ、ネクタイ、帽子、コートを着こなし、男臭い役ばかりを演じた役者。 煙草をくわえ、ドランブイを嗜むために生まれてきた役者。 ロマンティックな関係を匂わせる男性主人公を演じながら、女性に溺れたり、女性との愛を成就させることがほとんどなかった役者。 「ダンディな男はコートの襟を立てるんだ」 「ダンディな男は眉間にシワをよせるんだ」 「ダンディな

映画「ハイドリヒを撃て!ナチの野獣暗殺計画」_やったが最後、タダで済むはずもなく。

「目的のためには手段を辞さない」ひたむきさ、一種のテロルの輝きを、鋭利に描ききっている。喉に棘を刺すような後味を残す、映画だ。 キリアン・マーフィは、スネ夫ヘアーの後ろに暗い激情を秘めて。ジェイミー・ドーナンは、平穏な暮らしを求める夢を秘めて。二人は亡命政府の勅使として、「自国への報復を恐れず」暗殺決行へとのめり込む。 [ あらすじ ] 第二次大戦中期、ナチスがヨーロッパのほぼ全土を制圧していた頃。イギリス政府とチェコスロバキアの亡命政府とが協力して極秘計画を練る。パラシュ

映画「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」_おれがやめたら、だれがやるのだ。

焼け跡からしぶとく立ち上がり、逞しく生きていく人間たちの美しさ、醜さ。 レジスタンスのものがたりは、イタリアにも存在する。 第二次世界大戦が終わった時、イタリア映画にはネオ・リアリズモが起こった。 資金も撮影機材もままならぬ状況にもかかわらず、監督たちはメガホンを取った。 最小限のスタッフと機材、出演は素人、撮影はロケのみ。 そんな逆境が、次々と傑作を生み出した。 そこには、社会に潜む悪を告発する、戦争という理不尽の極みを生き延びた人々の”真実の叫び”があった。

フランスのトラウマ。ベト戦映画な「いのちの戦場 アルジェリア1959」

国家の恥。 「なかったことにしたい」有事は、どの国にも存在する。 フランスの場合、それは1954年から1962年にかけて長く続いた植民地:アルジェリアの独立戦争だった。 19世紀以来フランスの植民地であったアルジェリアでは、独立を求めて1954年にアルジェリア民族解放戦線(FLN)が結成されフランスとの間で戦争が勃発する。ゲリラ戦を展開するFLNに対し、フランスは武力による弾圧を強め戦争は泥沼化する。57年に「アルジェの戦い」(2)と呼ばれる仏軍とFLNとの間で激闘が展開さ

香港ノワール「インファナル・アフェア」_過去を捨てたふたり、生き残るはひとり。

毎年年末となると思い出す映画がある。 インファナル・アフェア三部作。 旧劇場版「エヴァンゲリオン Air/まごころを、君に」の聖地たる新宿ミラノ座 、その2014年12月29日のクロージング上映:一日かけてぶっ通しで観たものだ。 忘れられないのは、「警察上層部に侵入しているマフィアの構成員」と「マフィアのボスの右腕となっている潜入捜査官」という設定。 その設定がうむ見事な緊張感、また香港映画らしい半ば強引なストーリー運びが、素晴らしい。 のちにマーティン・スコセッシの手で