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赤い傘

 朝から、ぼくは勝負に出た。
昨日、おとといと腰の具合が芳しくなくて、目標の二時間にははるか及ばない一時間前後で、車いすに乗りつづけることをリタイアすることとなった。
昨日などは、痛みの要因として思いあたるお尻の位置をかなり慎重に確かめながら定めたというのに、結果は同じだった。
原因は判ってさえすれば手ごわいハードルであっても、打つ手を考えたり、場合によっては諦めたりすることができる。
要するに、「明日」と向きあえる。

 いったん、修理に出さなければならなかった一ヶ月間で、順調に進んでいた三~五時間という車いす生活へのカムバックが振り出しへ戻った。
それでも、リハビリをお願いすることで、ぼく自身の予想よりも早いペースで回復の道をたどっているように理解していた。
もちろん、リハビリの先生も同じ意見だった。

 ぼくが頼りにしているラジオの気象予報士さんは、週初めからこの金曜日~土曜日にかけての荒れ模様を警戒するようにと話していた。
昨日、チェックした時点でも、午前中からポツポツと降りはじめるということだった。

 明日、ぼくが料理づくりから人間的な部分まで、まるごとの信頼をよせる奥ちゃんがスクランブル登板することになっている。
できるだけロスなくわが家での時間を有効につかってほしかったし、土砂降りの中をわが家までバイクを飛ばしてやってきて、また「買い物に行ってきて」などとは言いたくなかった。

 ということで、ぼくは腰の不安を抱えながら今朝のヘルパーさんと市場へ買い出しに行くことにした。
奥ちゃんがつくることがわかっているだけに、自分で目利きしたものを用意しておきたかった。

 家を出ると、もう小雨が降りだしていた。
朝だけはヘルパーさんが二人いる時間帯があって、早く終わるほうの彼に掃除や朝食の片づけをしてもらって、もうひとりの彼と仲良く片道二十分を市場まで歩くつもりにしていた。

 引っ越してから、傘が見当たらなくなっていた。ついでに、車いすごとかぶれるオーダーメイドの優れもののカッパも。
いつものように探すことが面倒くさくなって、押入れの奥などをひっくり返そうとしてはいなかった。
ラジオで週末の荒れ模様の天候を聴いていて、土砂降りを歩くことはもうないというのに、ホームセンターで洗剤を買ったついでに「赤い傘」もつけ足した。
ビニール傘だとすぐにどこかへやってしまうのがわかっていたから、ワンコイン以上の値段にしたかった。
何かを複数の色から選ぶとき、ヘルパーさんがオッサンには常識的な青や紺や黒を手に取ろうとすると、ぼくは「待った!」をかけたくなってしまう。
色の好みというよりも、世間の考え方を押しつけられていることに反抗したくなるのだと思う。

 そんなこんなで、ボケの進行が著しいぼくも、さすがに赤い傘の記憶と片づけた場所は覚えていた。
わが家の玄関は、いちいちスロープを取りつけたり、出入りに操作の気を使ったり、ややこしいといえばややこしい。

 ということで、残ったヘルパーさんに声をかけた。
「奥のクローゼットに赤い傘があるから持ってきて」と。
ところが、返ってきたのは「そんなん、見あたらへんで」だった。
ぼくは、ある夜のヘルパーHくんとの会話を思い出して、吹きだしそうになりながら、いっしょに市場へ行くヘルパーさんと先を急ぐことにした。

 ぼくには、毎日の生活の中での小さな約束というか、ルーティーンのようなものがある。
その一つに、服薬している錠剤を飲んだあとには、口直しをいただくことになっている。
錠剤がノドの入り口で行ったり来たりするのを防ぐ役割も、この口直しには含まれている。

 さて、その夜、口直しにこんにゃくゼリーを取りに行ったと直感したぼくは、Hくんの背中に声をかけた。
「この間、Iちゃんが『こんにゃくゼリー見あたらへんでぇ』と言うてたで」、そんな言葉を尻目に、彼は台所で「はぁ」と低い声で応えたかと思うと、ぼくのベットのそばへ来て、右手をめのまえに差しだした。
「これ」
手のひらの上には、こんにゃくゼリーが乗せられていた。
Hくんのマスクの目もとが笑っていた。
「いつものことですねぇ」
いろんな意味や想いの重なったHくんの低音だった。
それでも、その低音には苛立ちやIちゃんを否定する気持ちは少しも感じられなかった。
ぼくも「そうやなぁ」とHくんの言葉を追いながら、知らず知らずに頬をゆるめていた。

 誠実で、正義感があって、融通がきいて、話好きで、淋しがり屋で、誰からも愛されているのがIちゃんだ。
見かけがいかつくて、とっつきにくそうだから、よけいにみんなを惹きつける。
わが家の介護に入って、もうすぐ二十年になるのではないだろうか

 人並はずれて運動神経がよくて、高校時代の恩師の「先を見て動く」という言葉を仕事に活かして、ぼくがリラックスして大便をきばれるスタイルを編み出したり、大きな病気で入院したときも、毎日のように見舞いにきてくれていた。

 案外、ぼくたちは年齢が近い。
体力には絶対の自信をもっていた彼も、手足に痛みが出たり、モノが見えにくくなったり、ちょっと気が短くなったり(笑)、支障とまではいかない些細な滞りが現れるようになった。

 完璧にできることがいいのだろうか。
画一的にできることがいいのだろうか。

 Iちゃんの絶頂期には、だれの追随も許さない技術の高さと安定感を誇っていた。
技術的には、文句のつけようがなかった。
身体能力がずば抜けているうえに、見通しを持ちながら動く教えを身につけていた。
いっしょに組むヘルパーさんにも心遣いを忘れなかったから、ぼくはほとんど笑っているだけだった。

 けれど、彼の老いというか、更年期とつき合っていると、なかなか悪くない気分になる。
彼のことが好きだから、身体の不調が気遣われる。
でも、いろんなしがらみやややこしいことを抜きにしての心配なので、負担に思えるわけではない。
どちらかと言えば、まだ生命には別状がない程度だし、わが家の介護も続けられるぐらいだから、心配することで気持ちが落ちついたり、穏やかになったり、マイナスの方向には働かない。
それに、Iちゃんの存在すべてとつき合っている感じなので、少々の勘違いは「こんにゃくゼリー」の話のようにユカイなエピソードとして変身する。

 結局、家に帰るまで傘が必要なほどの本降りにはならず、いっしょに歩いたベテランヘルパーのTくんとIちゃんの話が止まらなくなった。
本当に、Iちゃんはみんなから愛されている。

 買い物を冷蔵庫に入れて、ラジオをかけて、その前に明かりをつけて、Tくんがクローゼットを開けた。
いちばん手前の見えやすいところに、赤い傘は引っかけられていた。
ふたりして、のけぞって大笑いした。

 完璧とはなんだろうか。
おかしくて、考えさせられる一日のはじまりだった。

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