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赤いベストの少年

 十歳を過ぎたころだっただろうか。
 ぼくを可愛いがってくれた看護婦さんがセザンヌの「赤いベストの少年」に、雰囲気がよく似ていると話していた。

 幼いころ、心のどこかに棲みはじめていたプライドに近いものに導かれるように、本棚に無造作に並べてあった何冊かの画集を引っ張りだす午後があった。
その一冊にセザンヌはあったけれど、あまりお気に入りにはならなかった。
 それよりも、ゴッホの耳を切り落としてしまった自画像に惹かれた。
いっしょに暮らしていたおばさんに耳をなくした理由を訊ねると「気が狂ったのよ」との答えだった。
 ぼくは意味を察することもできずに、ただ、不気味さだけを直感した。

 ぼくを可愛いがってくれた看護婦さんは、気が強くてハッキリとものを言う人だった。
 京都のおばさんの勧めではじめた俳句の感想も、素直に述べてもらった。
「赤いベストの少年」に似ている理由も、腕の長さと賢そうな眼だと言ってくれた。
照れくささと自慢したい気持ちが交差した。

 事情があって、ぼくには十五歳までの写真が残っていない。
昨秋、引っ越しで押入れの奥に埋もれていた何冊かのアルバムを見つけた。
その中に、ぼくの手元に残っているもっとも古いであろう二枚があった。

 ぼくは、学齢通りには学校へ行けなかった。
母親の長期入院のために、家族と生活することが許されなくなり、障害を持つ子どもの施設で暮らさなければならなかった。
 そこには、ぼくを受け入れる教室はなかった。身のまわりのことができれば、カトリック系の小学校の分校はあったけれど。

黄ばんだアルバムの中の一枚は、姉とのツーショットだった。
もう一枚は結婚前か、式を挙げて間もない彼とのものだった。
 日曜日、入学したばかりの養護学校の寄宿舎へ顔を見に来てくれたのだった。手づくりの巻きずし八本といなりずし五~六個を、ひとりで平らげてしまった。
ふたりともおなかの具合が悪いと口をそろえていたけれど、あまりに旨そうに食べる表情をみて、心遣いしてくれたのだろう。
 そういえば、彼は数学がチンプンカンプンなぼくの夏休みの宿題をほとんど仕上げてくれた。家族よりも話しやすかった。

 思春期の写真は、どれも神経質そうで、影のある表情をしている。カメラに写されていると意識しているはずなのに、屈託のない笑顔の一枚は残っていない。
 ただ、早くから家を離れ、第三者の介護を受けざるを得なかったことは、相手を自分のエリアに引きこんだり、折りあって生活することが苦ではなくなったり、大人になってからの生きる力に役立ったに違いない。

 いま、あのころの自分の肩をポンとたたいてやりたい。

 それにしても、あの巻きずしといなりずしの味は忘れられない。
離れていても、見守っている肉親がいつもいた。

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