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喜怒哀楽

 午前中、いつものように作業所へ顔を出した。
先週、ネットで注文した白いトレーナーに初めて袖を通した。
食事でこぼすことの多いぼくは、めったに白を選ばない。
車いすでごはんを食べることがすくなくなったから、ほしくなった。
 それだけのこと。
 検索していて、思い入れの深いメーカーのロゴを見つけて、なつかしくなって躊躇することなく決めることができた。

 十代の後半だったと思う。
親戚からのお年玉を使って、ぼくはそのメーカーのトレーナーを買った。
 結構、力まかせの着替えをくり返しても、首筋も袖口もいつまでもしっかりしていた。
 結局、五千円のトレーナーは、四十代半ばのぼくにとっての最後の彼女との別れまで見届けることになった。
 袖を通そうとすると突っ張ってしまう両腕なのに、高校ラグビーを観戦に行くと案内の係りの人が「ラグビーをされていたんですか?」と訊かれるほど大柄で、裾の上げ下ろしも苦労するというのに、だらしなく伸びることはなかった。
 三十年足らず、春から秋まで他の洋服よりも身につける頻度は遥かに高かった。
 それでも、形はくずれなかった。

 今回のトレーナー一枚の購入金額は四千円足らずで、四十年近く前よりも安かった。
深緑と合わせて二枚買った。
 いまから三十年後というと、トレーナーはぼくを見送ることになるのかもしれない。
いきなり、人生のゴールまで一足飛びしなくても、日々のやり取りを見守る役目を果たすことになるのだろうか。
 礼服はともかく、ぼくはとにかくお気に入りを押し入れに仕舞っておきたくはない。


 今日も目安の二時間三十分近く車いすに乗って、自宅へ戻った。
白ごはんと小松菜と油揚げのお浸しに冷奴という地味な昼食をすませると、お昼のサポート(ヘルパー)のWくんが、ずっとぼくの懸案だったパソコンの自力操作のためのボタンスイッチの設定を取り組んでくれた。
 はじめは電子書籍を読むぐらいにして、ボチボチnoteへの投稿などに裾をひろげていきたい。
 ただ、とても厄介なことに気づいてしまった。
これまでは入力をサポーターに任せていたので、ぼく自身が硬直とつき合いながら、操作を覚えていかなければならない。
もう五年早かったら…。

 それにしても、Wくんは黙々と取り組んでいた。
手のひらに固定して使うスイッチなのだけれど、配達されて片づけるときにパソコンと接続するための中間機器などひとまとめにしようとしていた。
 考えすぎだった。
まとめるときに、手のひらのボタンを固定するベルトが見当たらなくなっていた。
それで二十分近くはロスをした。
 また接続プラグも使う前に壊れていた。近くの電気屋へ走ってもらった。
でも、泊まりのサポーターさんとの引継ぎには間に合って、めでたしめでたしだった。
 ずっとお願いしていたので、Wくんも肩の荷が降りたようだった。
 うまく使いこなせるようになったら、ひとりの時間を増やすことができる。


 どうしようもないことがある。
最近、またぼくは精神状態の不安定さが増しているようだ。
これまでだと、ある程度は自覚できていた。
 ところが、自分ではリラックスできていると感じていても、まわりから見ると不自然なことがあるらしい。
 不安定になってから、以前はやり過ごせていた人間関係の諸々が簡単に落ちこみへと結びついてしまう。
自分がへこむだけならいいけれど、相手に攻撃的になったりする。
他人をしんどくさせたくはない。
 必然的にまわりの対応も、慎重になってゆく。
いまの気持ちをどんなふうに表に出せばいいのか、よくわからなくなる。
本音を伝えあいたいけれど、本心を訊くと動転してしまいそうで不安に襲われる。


 思春期のころに出逢った加川良さんは、思い通りにならないぼくの体と心と世の中を、生きることだけで充分だと、ありのままの自分で充分だと、手を差しのべてくれた。
 大切な友人たちとの関わりの中で出逢った友部正人さんは、自分を見つめることと、人を想い、つながり、気負わないで世の中のあり方を考えるきっかけをつくってくれた。


 どうしようもないときに、関取花さんはぼくの枕もとへ降りてきた。
 良さんや友部さんと違って、花さんはとことんいっしょに堕ちてくれる。
過去のしんどい情景ばかり浮かぶのに、救おうとするのでもなく、力づけようとするのでもなく、ただそばにいる、それだけのことでも、いちばん支えになっている。

 「この海を越えてゆけ」
流れはじめると、傷つけてきた一人ひとりの顔がよぎってゆく。

 ひとりで聴いていたい。
誰にも視界へ入ってきてほしくはない。
リピートやシャッフルで流しているから、いつもタイミングが悪くて、サポーターさんがごはんを運んでくると、待っていたかのように聴こえてくる。
 なんとなく流れる順番が判ってきて、近づいてくるとおしっこがなかなか出ない。

 ほんとうに、久しぶりに「障害」を持てあます毎日がつづいている。

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