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いま

 インフォメーションへ行くと、いちばん近くのレジで彼女は溜まったおカネの勘定をしていたのか、機械の調子を見ていたのか、ぼくたちに背をむけていた。
 黙って待っていると気配を察したのか、こちらをふり返るまもなく用件を聴きに来てくれた。小走りだった。
 
 表情を確かめられる距離まで近づいたとき、声が出てしまいそうになるくらいにぼくは驚いてしまった。
 なにかの理由でお化粧をする時間が持てなかったのか、よほど体調が悪かったのか、肌がくすんで、明らかにやつれていた。
 なによりも、前髪に白いモノが混じっていた。

 毎日、作業所へ通っていたころ、いつもインフォメーションで彼女は店内の細々とした対応に追われていた。
 お弁当や飲み物などの欲しい商品を選んでから伝えに行くと、ぼくに慣れるまではマニュアル通りのドライな接し方だったので、インフォメーションで姿を見ると、お客さんや通りがかりの店員さんに品物を膝に乗せてもらってから、彼女のところへ行くようにしていた。
 それでも、最近は対応も温和になって、「イイ感じ」だった。

 お目当ての商品は「からし漬けの素」だった。
 置いてあるコーナーの見当がつかなかったので、まずインフォメーションで訊ねることにしたのだった。
 コーナーの場所を説明することもなく、「待っていてくださいね」とその場を離れていった。

 しばらくして、ドレッシングぐらいの大きさのボトルを大事そうに両手で抱えてきた彼女は、申し訳なさそうに「お客さんの探しておられるのはコレじゃないですよねぇ」と、ピンクとライトグリーンの容器を差しだした。
「コレ、浅漬けとぬか漬けですもんね」
たしかに、その通りだった。

 「ありがとう」と言って、ほかにも買い物があったので、すぐに野菜売り場へ向かった。
じゃがいも二個と大きめのタマネギ一個をカゴに入れて、ジュースの新商品がないか、別の通路へ入っていこうとしたとき、つき添ってくれていたN くんがぼくの後ろで大きな声をあげた。
「ここにあります!」
振りむくと、いくつかの小袋が彼の両手に乗せられていて、その一つが「なすびのわさび漬けの素」だった。
「からし漬け」ではなかったものの、探していた商品とほぼ同じだった。

 その後に予定があったわけでもなかったし、文章として仕上げるために丁寧に書こうとしているけれど、彼女に対して否定的な感情はなにも湧いてこなかった。

 帰宅後、ふと考えた。
なぜ、彼女はあんなにやつれて見えたのだろうか。
今日だけの事情であればよいのだけれど。

 いまはその一瞬で、過去へ遠のいていく。
しばらく会わなかった間の「いま」の重なりの中で、彼女に取りもどすことのできない「何か」が起こっていなければいいけれど。

 つい、自分の毎日とオーバーラップさせてしまった。

 一瞬で、人は変わってしまうときがある。

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