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約束

 晩春の夕闇の中で、風と光の濃淡を織りまぜながら、枝いっぱいに薄紫の花房をわさわさと揺らせて、いつもぼくを待っていた。
 姉妹のように寄り添っていた二本の桐の木は、一方の幹が朽ちはじめて倒れる危うさが懸念されて、五年ほど前だっただろうか、一本きりになってしまった。
 それでも、彼女が呼吸しつづけてきた川沿いの生活道路には、そのおおらかで繊細な容姿を楽しめるように、水筒形のオブジェがいすの役割を果たすために配置されてあって、ぼくの電動車いすでも脚元まで近づくことができた。
 ひと枝にぎっしりと集まった一つひとつの花を確かめられる距離まで行くと、いくら近眼でも、浮遊するアシナガバチの数匹にかすかな恐怖心が湧いたものだった。
 引っ越す前の家から通っていた障害者の作業所の往き帰りに会いに行くことができたので、夕方だけではなく、出る時刻を早めて日の降りそそぐ中で、しばらく見上げていた朝もあった。
 蜜を楽しむために飛び交うアシナガバチの温厚さにも気づいて、ご近所のお年寄りの人たちとのご縁も生まれて、だいたいのアレルギーとPM2.5に憂鬱な気分になりがちのぼくにとって、一日のアクセントになる場所であり、ゆさゆさと揺れる桐の姿は主役中の主役に違いなかった。

 三年近く前から半引きこもりのような生活スタイルになって、長時間の電動車いすでのまち歩きが難しくなった。
 おととしの春、閉じこもっていた三ヶ月を吹っきるきっかけにしようと、彼女に会いに行った。
 薄紫の妖艶な姿には一~二週間早くて、薄茶色の花芽に声をかけるしかできなかった。
 その後、腰の状態が悪化して、再会できないままに季節は過ぎた。
去年、今年と腰の状態は一進一退をくり返すばかりだし、気持ちの浮き沈みが激しくなる一方で、彼女に会いに行こうとしたのか、しなかったのかの記憶がはっきりしない。

 最近、通り過ぎると首をかしげたくなるほど些細なことで、ひどく落ち込むようになった。
 昨夜も、ひょんなことから奈落へ突っ走って、とうとう一睡もできなかった。
若いころ、親友たちと徹夜で飲んだことはあったけれど、おつき合いしていた女性との別れで眠れなかった夜はあったけれど。

 最近の体調と精神状態を推しはかると、彼女との再会はつぎの晩春が最後になるかもしれない。
なんとかこの冬を乗りきって、いまのわが家から片道三十分、夕闇に揺らめく姿をこの眼に焼きつけておきたい。

 
 「いろいろと事実をそのままに書くと、しがらみがややこしいでしょ。情景描写が独特だから、思いきり脚色をくわえて小説をチャレンジしましょうよ」
 noteへの投稿に楽しみながらつき合ってくれていたNくんが実家へ帰ることになって、重い腰を上げてしまったぼくは、本気で書きはじめて三ヶ月あまり、事業所さんの協力もあって目鼻立ちがついたと言いたいところだけど、フリーハンドを基本にして取り組んでいるから、どんどん方向性が変わりものすごいボリュームに。
 まだ道半ばというところ。
 起承転結がはっきりしている作品にひかれないぼくは、ダラダラとフェードアウトする流れをめざして、全力投球中。
 執筆用のプレイリストまでつくって物語にイメージした唄を聴きながら書いているものの、とびきり好きな曲を並べていて、しかも、その世界にのめりこんでの時間の満ち引きということで、思考の中に曲の一節が割りこんで立ち往生することもしばしば。
 彼と完成をよろこびあえるまで、たどり着けるのだろうか。

 読む側への心遣いは無視をして、ほんとうに自分の伝えたいテーマをひたすら、ひたすら、書き連ねている。
最初は不特定多数を意識していたけれど、一冊にまとめたいとも思っていたけれど、いつのまにか「普通の人」にこだわって、最後まで通したいという気持ちに模様がわりしていた。

 おととしの春、満開の薄紫の揺らめく桐の木に再会することを自分自身に約束した。
かならず、かならず決めごとを果たして、かすみだろうか、青嵐の中だろうか、彼女と向かいあいたい。

 今日、ワンキースイッチの不具合で、サポーター(ヘルパー)のKくんが様子を見に立ち寄ってくれた。
 彼との確認の会話のとき、問いかけに「いいよ」と高いトーンで応えてしまった。
 小説を書くのにのめりこみ過ぎて、主人公の女子高生が乗り移っていた。
彼も、もうひとりのサポーターさんも気がついていないようだった。
 冗談なのか、本心なのか、その間のグラデーションのある位置なのか、誰かが言っていた。
「身も心も削ってでも、しっかり書いてくださいね」

 「普通の人」を押し通しながら、それぞれの約束を果たしていきたい。

 何度かの挫折を経て、大親友のHくんが教員試験に合格したらしい。
ぼくのチョイスで、友部正人さんのベストをつくって送ろうと思う。
彼は家族のために、ミュージシャンへの道を断念した。
「売れる唄をつくりたくない」
どの子どもにとっても大切であるはずの「個性=違い」を、障害者だけの特権みたいに扱わずに、一人ひとりと向きあいながら仕事をつづけてほしい。 
 
 「中道商店街」は、友部さんの唄とはじめて出逢ったライブで、ぼくの耳と気持ちを貫通した一曲だ。
この唄に登場する彼は、ずっとぼくの憧れだった。
 
ぼくの目の前を彼が通りすぎて行くよ
知ったかぶりしているのでも知らんふりしているのでもない
たぶんぼくらは知らないんだ
彼の記憶がまだ一度も荒らされたことがないんだってこと
風は強いけれど ちゃんと
立っている人にはやさしいもんだ
ぼくらの重さはもう古い地図にはのってないのさ
彼にはあったかいこの道が
なぜぼくにはこんなに寒いのか
そのわけが知りたければいってみるといいよ
吉祥寺の中道商店街へ
友部正人「中道商店街より」





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