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全国大会に行けるから。

はじめに

突然だが、私は「 #アスリートの書く習慣 」を始めようと思う。これを聞いて「は?お前アスリートちゃうやろ?何言うてんねん」という人もいるだろう。

たしかに私はただの人だ。所詮、週に一回草ソフトボールをしているだけのそこら辺にいる26歳一般男性だ。

なのになぜ「アスリート」なのか。それは、この度ご縁があって「ノマドアスリート」というコミュニティに参加させていただいたからだ。だから、私は「ノマドアスリート」に参加している「草アスリート」ということで勘弁していただきたい。

と、前置きはこの辺りにしておこう。
私は「草アスリート」としてソフトボールをしているわけだが、それとの出会いを書いていきたいと思う。

少年野球の経験と高校選び

小学校の頃にさかのぼる。私は近所の少年野球チームに参加していた。しかし、長時間に及ぶ練習と、ミスに対する罰走が多くて、とにかく嫌だった。そんな気持ちではうまくなるわけもなく、ただ練習時間が終わるのを待っていたようだった。

「下手なまま⇒ミス発生⇒罰⇒やる気出ない⇒下手なまま…」
という悪循環だった。

中学校では小学校での経験からすっかり自信がなくなっていて、野球はしなかった。でも、「嫌々でも自分はここまで練習してきた」という矜持はあったし、野球以外の道を選ぶのに抵抗はあった。結局卓球部で3年間を過ごしたが、物足りなさはあった。

もう一度、3年間のブランクはあっても野球はできないか。
そう考えていた私の目に入ってきたのが「ソフトボール」だった。京都府には当時三つの高校に男子ソフトボール部があった。そのうちの一つが南陽高校で、当時十数年連続でインターハイに出場していた。
私は、「ソフトボールなら、ブランクがあっても他のみんなとおなじスタートラインからはじめられる!それに、全国大会にいける!」と思い、第一志望校を南陽高校にした。

かくして私は南陽高校に入学し、男子ソフトボール部に入った。

素人同然

入部したはいいものの、はじめはボール回しのボールをスルーしたり、トスバッティング(ペッパー)で捕球しようとして、添えた左手にボールを当てて骨折したりなどと、散々なものだった。ほかにも、ティーバッティングで振ったバットを自分の右脛にあてて腫らすこともあった。これについてはなぜ起こったのかわからない。

それに対して、他の同学年は中学まで野球をしていたり、小学生の強豪チームの出身だったりと経験豊富で割って入ることなど不可能だった。

ブランク云々の問題ではなく、自分が下手くそだったのだ。

やはりプレーヤーとしてはだめなのか。そう思うことはあったけど、それを上回る面白さに気付いた。

スコアラーとして

きっかけは先輩からスコア付けを覚えろと言われたことだ。当時、チームには「マネジャー」という概念が存在せず、選手兼任でスコアラーをするのが通例だった。骨折した直後で練習もできず、することもなかったのですぐに覚えた。練習試合などでスコアをつけ始めると、選手としてだけでは見えてこない、試合の「流れ」や選手の動き、作戦、交代など、試合のたくさんの要素がわかってきた。

「ソフトボール」が面白くなった。

それからというもの、もちろん選手としての練習はしたが、スコアブックの管理もするようになった。

そしてスコアをつけ始めて半年。インターハイ本選のメンバー発表のとき、私は18番目にベンチ入りすることになった。すなわちスコアラーである。喜ぶべきかどうかは微妙でもあったが、それだけ正確に書けるということを評価していただいたと喜ぶことにした。

その後、チームには「マネジャー」が入部することになり、私はすこし寂しさを覚えたが、マネジャーたちにスコアブックの付け方を教えた。

と、裏方の仕事ばかりだった高校生活だが、私とソフトボールの出会いはこんなものだ。「できることをする」といえば聞こえは良いが、実際には競技そのものには向き合えていない感じだった。

それから

その後も私は11年ソフトボールを続けているし、今後もやめるつもりはない。ここまで続けると周囲から「頑張っているね」と声をかけられることもあるが、私としては、頑張っているつもりはない。謙遜しているのではない。単純に楽しいからしているだけのことだ。好きだからソフトボールをしている。

ソフトボールをすることだけで内発的動機づけになっている。

今後もそうありたいと思う。さて、今回はこのあたりで。

良いスイングだが、ファウル。(高2の5月)

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