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やめてみた。5、人からの依頼に応える

私は、人に何かを依頼することはあまり得意ではなかった。
それは、私が苦手なことを依頼する場合、相手も苦手なのではないか、それを押し付けていると思われるのではないかと思っていたから。
そこに神経を使うなら、自分でやってしまったほうがいいし、実際にやってしまうことは多々あった。
しかし、苦手なことを自分でやると周囲に迷惑がかかる(時間がかかる、ミスをする、イライラする、そのイライラオーラを発する)ことを痛感し、お願いするようになった。
当たり前だけど、私が苦手なことを得意とする人もいるし。
そうしているうちに、依頼することへの抵抗は無くなった。
そして人からの依頼を受けることはもともと違和感がないので、私にできることは応えていた。それが当たり前だった。
その人が喜ぶのなら、助けになるのなら、力になろうと思って労力は惜しまなかった。
しかし、ある日突然、人からの依頼に応えることを私はやめてしまった。

私の仕事やライフスタイルに合わせて服をコーディネートしてくれるスタイリストさんがいる。
そのスタイリストさんは将来独立してフリーのスタイリストになりたいといった夢を持っていた。その相談にのっているうちに、試しにやってみようということになり、私自身を実験台にしてトライアルを始めた。詳細を詰めながらサービスの試作メニューができたので、ニーズのありそうなお客さんを紹介した。
そして第一号のお客さんになってくれた。
サービスは経営者向けから始めることにしたので、私から何人か経営者を紹介することにした。スタイリストの彼女もぜひお願いします、と喜んでいた。
それなのに、私は突然紹介する気持ちが消えてしまった。
勝手だけど、なぜここまでやらなければならないのか?という気持ちが突然湧いてきてしまった。
結局、コロナになってしまったので、顧客となりそうな経営者の方々を紹介することはなかった。

そして、この気持ちが湧く少し前にも同じような事が起こった。
恵美会をしていた仲間が経営するビストロが経営難になり、助けて欲しいと連絡があった。
2年間毎月お世話になったお店だし、味も美味しいし、何より仲間なのでなんとか協力したかった。
私一人では大したことができないので、すぐにFacebookで人を集め食事会を開いた。
多くの人に参加してもらったけれど、この一回というよりは継続し続けないとあまり効果はないなぁと思っていた。
その後、お店はなんとか継続できそうなきざしが見えたときに、コロナによって営業自粛になり、またもや大打撃を受けた。
またそのオーナーから連絡がきて、困っているということだった。
そのタイミングで私自身の内側にも大きな変化がやってきたときと重なった。
デリバリーを始めたらどうかとか、少しやりとりをした。
そして数週間が経った頃、デリバリー開始はまだ準備中だが、Take Outを始めたと連絡がきた。
これは本来であれば宣伝するとか、購入すべきだろうけど、私にはそのエネルギーがなぜかどうしても湧かなかった。
私にとっては、したいというより、すべきという感覚だった。
自分自身のことを実は冷酷な人だなと思った。
そして、いざ自分が困った時には助けてもらえないだろうなと思った。
でも、身体が動かないのだから仕方がない。
他にも自分の身の回りをたくさん手放していたので、これも一つの手放しだった。
つまり、たくさんの大事にしてきたことを手放し、スペースを空ける作業が始まってしまったのだ。
このまま孤独になるのかも、誰にも助けてもらえないかも、といった不安にもなった。
私もたくさんの人に助けてもらっているにも関わらず、人からの依頼は受けないなんて恩知らずだとも思った。
それでも、今は孤独ではないし、今は助けてもらいたいことは幸いにも特にない。この先あるかもわからないことに不安がっても仕方がないので、手放し続けた。

そうしたら、依頼を受けるどころか、自分から無料でコーチングを申し出ていたこともあったし、依頼されてもいないことに首を突っ込み相談にのっていたことに気づいた。
そういえば、以前笑いながら、お節介な人だよねと言われたこともあった。

つまり、全て自ら種を蒔いていた。

その種まきに限界が来たのだと思う。
人の望みに応えることが、本来の自分の姿ではなかったのだ。
「相手のため」と思って尽くすことが「人間関係を良好にするコツ」のように思っていたようだ。だから関係性を構築するには依頼を受けることが当たり前と思っていた。
しかし、結果的には自己犠牲になっていたのだと思う。
つまり順番が違った。
まずは、本来の自分で在り続けること。
それが、人の要望を果たすときもあれば、果たせない時もある。
人からの依頼に応えられる時や応えたい時もあれば、応えられない時もある。
ただそれだけ。
だから、私は本来の自分で生きていくことだけを最重要としていればいいということがよくわかった。
依頼がきたら、自分に聴けばよい。

とにかく、
本来の自分で生きるという道を歩み、
執着を手放し続け、
自分の内側のスペースを広げていくこと。
これをし続けるのだと思った。
この一連のできごとも、大事なプロセス、経験だった。

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